新劇のために
岸田國士

 美術館のないことと、いまだに共同風呂が行はれてゐることと、政治が酒色の巷で議せられることと、現代劇を演ずる劇場がないことと、わが国が特殊国たる所以を数へ上げれば、実際、きりがあるまい。
 美術館の問題は、先日来、朝日紙上で矢代幸雄氏が論じてをられたが、その反響が多少でもあつてくれればいいと、私なども蔭ながら念じてゐる次第である。
 銭湯と待合政治の件は、暫く措き、私は、自分の仕事と関係のある芝居の現状について、世の識者に訴へたいと思ふ。

 私は今ここで、必ずしも、演劇の先駆的運動について論じようとは思はない。それよりも、一国の一時代が代表する演劇の主流が、何故に、その時代の生活と縁の遠い古典劇――しかも、全く未来のない舞台――の反覆でなければならないのか。
 なるほど、新派劇といふものはあるが、これこそ、その歌舞伎的情調の非文学的表現によつて、早くも生命を失ひつつあるものである。

 巴里には、大小凡そ六十の劇場があるが、楽劇及び単なるスペクタクルを専門とする劇場を除き、少くとも三十の劇場は現代作家の作品を上演してゐる。その中、芸術的に何等問題とするに足ら
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