まし)あの音がさうでせう。少し遅れましたね。
時田 あんた、忙しけれや、どうぞわしにかまはずに……。
州太 それぢや、ちよつと、失礼します。(部屋にはひり、卓子に向ふ)
時田 (しばらくぢつとしてゐるが)わしも途中まで迎ひに行つてこう。(さう云ひながら自転車を引つ張つて去る)
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やがて、とねがテラスに現れる。
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とね (窓の上の盆を片づけながら)局長さんは、もう帰つたんですか。
州太 ……。
とね 遅いやうですね。
州太 ……。
とね もう、あたしに、返事もして下さらないんですか。
州太 お前のさういふ気持が、おれには、やり切れないんだ。なにもかもわかつてる。黙つてゝくれ。
とね あんたは、無理な人ね。かういふとき、あたしは、どうすればいゝのか教へておくんなさいよ。昨夜《ゆふべ》からそれを訊《き》いてるんぢやありませんか。――お前がいゝと思ふやうにしろ、こんなことぢやわかりませんよ、あたしには……。二葉さんの前で、あたしは、一体、なんなんです。おつ母さんでもないでせう。そんなら、女中ですか。それならそれでかまひませんよ。あたしは、なににでもなります。
州太 だから、事実ありのまゝでいゝぢやないか。
とね ほんとに、いゝんですか。でも、あんたは、そのことを一番心配してるんぢやありませんか。あたしに隠したつて駄目ですよ。この二三日、そんなら、どうして、あたしに対する態度を、がらつと変へちまつたんです。娘さんの方に気を取られてつて云へばそれまでかも知れないけれど、あたしにや、もつとあんたの深い気持がわかるつもりですよ。
州太 ひがむのはよせ。
とね いゝえ、ひがみなんかぢやありません。あたしは、たゞ、幾度も云ふやうに、二葉さんに会つて、中途半端な口の利き方をするのがいやですからね。娘なら娘、お嬢さんならお嬢さん、さういふところをはつきりさせたいんです。
州太 その、どつちでもなければ仕方がない。
とね ぢや、お友達でいゝんですか。それとも姉妹《きようだい》……?
州太 まあ、そんなところさ。
とね さういふ関係で、二葉さんは承知しますか。
州太 承知するもしないもなからう。
とね あんたは、それで、どうもないんですね。
州太 どうもないよ。
とね ほんとですね。
州太 うるさいな。
とね 余計な苦労をして、損しちまつた。
州太 何がだい。
とね あんたが、二葉さんに気兼ねだらうと思つてよ。
州太 気兼でなくもないがね。
とね それ御覧なさい。
州太 だからと云つて、今更、お前を女中扱ひにも出来まいぢやないか。
とね うれしいわ。
州太 その代り、しつかり頼むよ。つまらんところで、おれに恥をかゝせないでくれ。
とね どういふところ……?
州太 考へたらわかるだらう。
とね わからない。
州太 娘の眼に、おれが道楽者に見えても困るからな。
とね はつきり云つて頂戴よ。
州太 もう、その話はよせ。おれは今、非常に六ヶ敷い問題を考へてるんだ。子供を裁くのは、なぜ親でなければならんかといふ問題だ。おれは、今、親でありながら、子供になつてみてゐる。さうすると、娘の二葉が、実は、娘のやうな気がしないんだ。丸で母親のやうな気がする。この気持は、ちよつとお前にはわかるまいが、それやしみじみとした、嬉しいとも悲しいともつかん気持だ。もうぢき、あいつが此処へ帰つて来て、われわれ二人を不審らしく見くらべるだらう。その時、おれたちは、なにも云ふまい。あいつは、きつと、万事を察しるだらう。おれたちは、そつと、あいつの顔色を見よう。おれは、あいつの眼から、すべての色を読むことができる。若しそれが、憤りか蔑みの色だつたら、おれは、手をついて、あいつに赦しを乞ふつもりだ。
とね ……。
州太 お前には、おれの過去といふものを、まだ話したことがない。あいつの母親は、あいつが生れるとすぐに、おれたちを捨てゝ行衛を晦ましたのだ。いや、晦ましたわけではない。おれには、今、その女が、何処で何をしてゐるかさへわかつてゐるんだ。
とね ……。
州太 おれが今、なぜこんな話をして聞かせるかと云へば、あいつが今日、この家の中へはひつて来るまでに、それだけのことはお前に知つておいて貰ひたいからだ。あいつが女学校を卒業すると間もなく、おれは、裸一貫に借金を背負ふからだになつた。あいつは、自分で、食ふ道を探し出した。おれがこの仕事をはじめるまで、丸三年、あいつは、親から一銭の小遣も貰つてゐない。
とね ……。
州太 去年の春、おれは、久々で、あいつに晴着を買ふ金を送つた。それと一緒に、おれも、二十五年振りに、お
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