、これこそ、戦ひつゝある日本にとつて、絶大の力となるであらうといふことを申すに止めます。
 それにしても、現在の宗教になんの力もないといふのではありません。神、仏、基、それぞれの宗教は、その教義と、これを説く人の人格と、伝道の方法如何によつて、十分青年の求めるものを与へ、その悩める魂を救ひ得るものと信じます。
 特に、神社参拝に見られるいはゆる国体並びに祖先尊崇の国民的信仰は、これを宗教と区別するやう、国家が夙に命じてゐるのですから、宗教と云へば、宗派神道、仏教、基督教、それに僅かの回教があるだけです。
 故に、国民的信仰と宗教的信仰とは、まつたく両立しないものではなく、憲法の章条を引用するまでもなく、国民はすべて、個人または家族としての宗教を奉ずることによつて、安心立命の境地を獲得することができます。
 のみならず、私は敢て云ひますが、青年時代からある宗教の門を潜るといふことは、深い信仰に達するかどうかは別として、少くとも、精神の修練にいくらかの益があるのではないでせうか。最近の社会風潮は、多くの青年が宗教を離れたための、憂ふべき現象に満ちてゐるやうにも思はれます。「天晴れな度胸」と
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