こゝまで来ましたから、「趣味」の隣りにゐて、幾分はそれと重なり、しかも、本質的にはまつたくこれと違ふ「娯楽」の問題を取りあげませう。
 娯楽的要素は、むろん体育のなかにも、芸術のなかにも、学術的研究のなかにさへもあり、また娯楽を芸術的に、科学的に仕組み、成り立たせることも可能ではありますが、娯楽そのものの本質は、人間が最も自然な姿に於て歓喜し、興奮し、心身のさまでの苦痛を伴はずに、これに没頭し得る「遊戯」でなければなりません。
「娯楽」には、感覚的なものと肉体的なものとが多いのですが、いくぶんは知的なもの、情的なものもあります。
 その何れが最も健全なりやと問はれても、それは俄かに返答はできません。なぜなら、その何れにも、高さの程度があり、むしろ、娯楽の文化的価値は、決して知的なるがゆゑに高く、感覚的なるが故に低いといふやうな見方では決められません。たゞ、その純粋性と自然の品格によつて決められるのです。
 民衆の娯楽、殊に青年の娯楽は、民衆自身、青年自身の手になつたもの、その素朴純粋な精神を精神としたものが、一番高い価値をもちます。私は嘗てかういふ文章を公にしたことがあります。「民衆の
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