は説明がつきかねるのです。「歌舞伎」などで演ぜられる悲劇の主題が、屡々「義理人情の柵《しがらみ》」といふやうなお芝居式の攻め道具で、見物の涙をしぼることになつてゐるせゐか、とかく、義理と人情とを対立させる考へ方が一般にひろまつてゐるやうです。この種の芝居は、むろん筋として極端な例外をあつめたに過ぎず、ほんたうの「義理人情」とは、「義理のうちに人情が含まれ、人情のうちに義理が固く守られる」人間的行為の理想を端的に目指したもので、やかましい理窟や利害の打算はぬきにして、世の中の無言の掟といふ風にこれを会得し、これを実践するところに、日本人らしい恬淡な、しかも峻厳な「生活観」があるのであります。前項で「愛情」について述べました。更にこれと並べて「信義」といふ項目が必要だと思つたのですが、幸ひ、「義理人情」のなかに、この「信義」は立派にはひつてゐます。「愛情」は人情の一部ですけれども、問題をやゝ特殊な形で取扱ひましたから、わざと一項を設けました。「信義」と「義理」とは言葉どほり違ふわけですが、「義理人情」となると、そこに、「信義」の精神が殆ど完全に含まれて来ます。
 私がこの「義理人情」といふ
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