ける意味なら、これはまつたく別の話です。
恐らく、専門家にはあつてよい、或はあつても仕方がない「臭味」といふやうなものもあるでせうが、専門家ならざるものまで、この「臭味」を身につけられては堪らぬといふ気がするのです。ところが、多くの素人は、肝腎な精神よりも、この「臭味」をよろこぶものであります。
「生活のうるほひ」は、決して、この類ひの「臭味」からは生れません。
こゝでひとつ、文学芸術が如何に人間の生活や働きに大きな影響を与へるものであるかといふ例を引きます。
前司法次官三宅正太郎氏の近著「裁判の書」に「裁判のうるほひ」といふ一項があります。これは、「裁判官が事件をさばくに当つて、その事件が立法の不備や行政処分の不徹底なために起つたことであり、被告人にも責むべきものがありとしても、一半の責任は官憲にあると思ふ場合でも、それは少くとも裁判官の責任ではないと思ふが故に、国民の責を問ふ方に力が注がれて、もし被告人にして官憲の不当を訴へるものがあつても、その苦情は直接その官憲に訴へたらよからうといふ風に諭す場合が多い」のを著者は裁判に「うるほひ」がなくなる一原因と見做し、「国家は常に全
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