ありませう。なぜ強調しなければならぬかといふと、それは、戦ふ国民として絶対に必要であることはもちろんですが、明治以来、文明の進歩といひ、文化の向上といふ場合、「文」の字にこだはつて、「武」をこれと対立するものといふ誤つた観念が何時の間にか生じてゐたからであります。それはまた、「武」と云へば、単に「争闘」であり、「腕力」であり、「武技」であるといふ風な、限られた概念でこれを見、これを教へた傾きがないとは云へないからです。
「武」の精神については、いろいろな説明はできませうが、要するに、こゝでは、日本文化の伝統として、その「意志的なもの」の理想的なすがたを示す言葉と解したいのであります。それゆゑ、文武両道とは、職能、技術の上での区別はともかく、元来、日本人の精神能力を二つの面に分けた考へ方でありまして、「文」は主として知情の面、「武」は主に意志の面といふ風に、一応心の現れを形として両分したに過ぎず、若し、日本文化の内容が、真善美の理想を目指すものとすれば、「文武」は渾然一体となつて、その理想の表現を得ることになるのであります。
 今それに気がつくことはたしかに遅いと云へば遅いのですが、しか
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