欠くべからざるものは、「新鮮な感動」であり、この感動の極は、最も屡々「美しい人間的行為」であり、しかも、かゝる行為の多くは、前述の「誠」を土台とする、いづれかの道徳的内容をもつ「義理人情」の純乎たるすがただからであります。
「義理人情」の甚だ好もしい一つの特色は、私の考へるところでは、それが日本人の日常生活の隅々で、常に何気なく、ほとんど人の注意も惹かず、自分だけの心に満足を与へながら、極めてつゝましくそれが行はるべきものだといふことです。「行ふ」と云へば云ひすぎるほどの、そこはかとなき「心の動き」をさへ指すのであります。
 この「心の動き」は、わが古典文学の一つの精神である、かの「もののあはれ」に通じるもので、日本人の豊かな心情を物語つてゐますが、これは、同じ「義理人情」の、際立つた、激しい現れが、一面、古典文学のもう一つの精神である「ますらをぶり」に通じることをも示してゐます。
「文学」の話と結びつけて「義理人情」の一項を挟みましたが、もう一度本題に帰ります。本題は「趣味」といふことでありました。
「趣味」にはまだいろいろ種類がありますけれども、それはそれで他に参考になる書物もあるやうですから、私はいちいちの種類については詳しく述べません。
 たゞ、「読書」といふ問題について一言触れておきます。
「趣味」といふ以上、直接自分の仕事なり、専門の修業なりに必要な「読書」は別として、主に、「教養」としての「読書」の範囲であります。
 私の考へでは、「肩の凝らぬ読書」などを求めることほど、自分を軽蔑し自分を低下させるものはないと思ひます。本を読んで肩が凝つたら体操をすればよろしい。肩が凝ることがそれほどいやなら、その時は本など読まず、歌でも唱ふがいゝのです。
「読書」の愉しさは、頭を使ふ自己創造の愉しさです。精神を練る努力と疲労の快感です。楽に読めて、読んでゐる間だけ胸がどきどきするといふやうな感覚的な面白さは、少くとも、「趣味」として読書に求むべきではないと思ひます。
 近来、書物といふものに対する一般の考へ方が非常に変つて来て、いはゞ商品の性質を多分に帯び、消耗品の如く読み棄てるといふ風なことが平然と行はれるやうになりましたが、これは、読者の方にばかり罪はないにしても、悲しむべき「文明」の一現象であります。

[#7字下げ]七[#「七」は中見出し]

 さて、問題がこゝまで来ましたから、「趣味」の隣りにゐて、幾分はそれと重なり、しかも、本質的にはまつたくこれと違ふ「娯楽」の問題を取りあげませう。
 娯楽的要素は、むろん体育のなかにも、芸術のなかにも、学術的研究のなかにさへもあり、また娯楽を芸術的に、科学的に仕組み、成り立たせることも可能ではありますが、娯楽そのものの本質は、人間が最も自然な姿に於て歓喜し、興奮し、心身のさまでの苦痛を伴はずに、これに没頭し得る「遊戯」でなければなりません。
「娯楽」には、感覚的なものと肉体的なものとが多いのですが、いくぶんは知的なもの、情的なものもあります。
 その何れが最も健全なりやと問はれても、それは俄かに返答はできません。なぜなら、その何れにも、高さの程度があり、むしろ、娯楽の文化的価値は、決して知的なるがゆゑに高く、感覚的なるが故に低いといふやうな見方では決められません。たゞ、その純粋性と自然の品格によつて決められるのです。
 民衆の娯楽、殊に青年の娯楽は、民衆自身、青年自身の手になつたもの、その素朴純粋な精神を精神としたものが、一番高い価値をもちます。私は嘗てかういふ文章を公にしたことがあります。「民衆の娯楽的欲求は元来健全なものだと私は信じてゐる。これを不健全なものにするのは、民衆を食ひものにする手合の陰謀と術策である。営利的娯楽業者と独善的民衆指導者の猛省を促したい。」

 今から考へると言葉が激越に失してゐるやうですが、この事実は今も殆ど改まつてゐません。多少、政府をはじめ、各方面の努力はみられますが、まだまだ効果が挙つたとは云へないくらゐです。

「娯楽」の一番不健全なものは、「生活」と離れて、「生活」から人々を引き離すためにあるやうな種類のものであります。
「生活」の単調を忘れるとか、「生活」の煩はしさを逃れるとかいふ口実が、「娯楽」のために設けられてゐるのは、少しをかしいので、「娯楽」は立派に、「生活」の一部であり、正確に云へば、むしろ、「娯楽」は「勤労」の疲れを癒し、心気を一転させ、明日の「生活」の力を培養する、刺戟と鎮静を兼ねた頓服薬であります。
 それゆゑに、「娯楽」は例へば頭の痛むやうな副作用を起してはならず、また、できれば、いくぶん栄養も含んでゐるやうな代物であるに越したことはないのです。
 しかし、飽くまでも、「娯楽」は、「娯楽」以外の要素のために、「娯楽」たる
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