は説明がつきかねるのです。「歌舞伎」などで演ぜられる悲劇の主題が、屡々「義理人情の柵《しがらみ》」といふやうなお芝居式の攻め道具で、見物の涙をしぼることになつてゐるせゐか、とかく、義理と人情とを対立させる考へ方が一般にひろまつてゐるやうです。この種の芝居は、むろん筋として極端な例外をあつめたに過ぎず、ほんたうの「義理人情」とは、「義理のうちに人情が含まれ、人情のうちに義理が固く守られる」人間的行為の理想を端的に目指したもので、やかましい理窟や利害の打算はぬきにして、世の中の無言の掟といふ風にこれを会得し、これを実践するところに、日本人らしい恬淡な、しかも峻厳な「生活観」があるのであります。前項で「愛情」について述べました。更にこれと並べて「信義」といふ項目が必要だと思つたのですが、幸ひ、「義理人情」のなかに、この「信義」は立派にはひつてゐます。「愛情」は人情の一部ですけれども、問題をやゝ特殊な形で取扱ひましたから、わざと一項を設けました。「信義」と「義理」とは言葉どほり違ふわけですが、「義理人情」となると、そこに、「信義」の精神が殆ど完全に含まれて来ます。
 私がこの「義理人情」といふ言葉を持ち出した理由は、いはゆる儒教乃至西洋倫理学による徳目の羅列が、必ずしもこの場合便利だとは思へなかつたからです。そして、「生活のうるほひ」に必要なものは、決して道徳の一面的強調ではなく、もつと人間性の本質にふれた「生き方」の問題であり、さういふ点では、日本人の例の直観力が生んだ綜合的な生活の掟といふやうなものが、こゝで大いに役立つと信じたからです。
 その意味で、この「義理人情」といふことは、後の章で詳しく述べようと思ふ「たしなみ」といふことと共に、深く考へてみなければならぬ日本的な表現であります。
 さて、前置きばかり長くなりましたが、「義理人情」といふ極めて平俗な人生訓を通じて、先づ、私は、今日の言葉で云ふ「責任感」と、「人を先づ信ぜよ」といふ二つの崇高な道徳的内容を汲みとることができるやうに思ひます。これは私一個の解釈ですけれども、さう理解することによつて、この言葉は、「誠」といふ、一切の人間的徳性を貫く、ひろい、まどらかな心の在りやうを底に含み、現代に最も活かしたい言葉となるのみならず、「生活のうるほひ」とは益々密接な関係をもつて来るのです。なぜなら、「生活のうるほひ」に
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