み、送るべきだと考へます。
 これと同様に、農村が仮りにその無頓着さのために強い兵隊を生むとして、無頓着にもいろいろあるといふことを一応吟味してかゝる必要があると思ひます。
 東京のある専門学校で、かういふ面白い経験が行はれました。その学校の生徒は、概ねいはゆる「良家」の子弟で、もちろん都会児が大多数を占めてゐます。学校の教育方針として、生徒の全部が、専門の学課としてではなく、協同生活の訓練と常識の涵養とを兼ねて、農耕作の実践をはじめたのです。一番生徒を悩ましたのは糞尿操作でありました。ところが、一年もたつと、誰一人顔をしかめるものもなくなつたのです。仕事に興味をもちだしたことと、糞尿が「汚い」ものだとは思へなくなつたのです。少くとも、それを扱ふ自分の態度がはつきりして来るにつれて、不快を感ずるよりも寧ろ、これを科学的に処理する快感の方が大きくなつて来たのです。手が汚れても、それは薬品によつて「汚れ」たのと何等違ひはなく、仕事が済めば、洗ふだけの話である。必要と思へば消毒もする、これまた細菌の取扱ひと同じであります。
 こゝにわれわれが明らかに察知できることは、これらの青年が、「汚い」といふ観念に於て、以前と全く違つた一つの観念を作りあげ、それが、彼等の神経を一部分ではありませうが、健康なものに復帰させたといふ事実であります。
 正しい指導と訓練とが、青年の質をどの程度更へ得るかといふ実験が先づこれで行はれたと私は信じたいのです。
 農村人の無頓着さは、なるほど、兵隊としての戦場生活に、ある種の強みは発揮するでせうが、また翻つて農村自体をみれば、その同じ無頓着さが、如何に多くの農村|疲弊《ひへい》の原因となつてゐるか、思ひ半ばに過ぎるものがあるのです。乳幼児の死亡率は、周知の如く、日本は世界一であり、殊に、農村がその大部分を占めてゐる実情であります。これは主として、農村家庭の「無頓着」が生む悲劇なのです。

 こゝで、どうしても、「野性」といふことについて考へてみなければなりません。「野性」とは、自然のまゝの性質といふことですが、人間で云へば、都会的影響を身につけてゐない、いはゆる「野育ち」の、素朴で荒々しく、かつ伸び伸びとしたものをもつてゐることです。従つて、がさつ、粗野ともなりますが、一方、健康で、強靭なところがあります。
「質実剛健」といふことは、この「野性」
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