さが政治と生活から文化そのものを游離させてゐるといふ事実がないでありませうか。かういふ事実は、別段私がここで九州の文化について特に非難がましいことを申上げるために列挙したのではありません。日本の文化機構或は文化現象を通じて見る、一つの弊をここで算へたのであります。若しかういふ点があつたならば、それだけでも今日九州における文化運動の大きな第一着の仕事があるのであります。
これは九州ではありませんが或る地方で或る一人の名医と称せられる人がある、このお医者さんは土地の信望もあり、またその技術においても非常に優れた人であります。従つてその病院には多くの患者が殺到するといふ有様であります。このお医者さんは医師界の新体制といふことについて話をする際に「自分の処に来る患者を、良心的に医者としてできるかぎりの努力を払つて治療してやることが医者の道である。それ以上なにをする必要がある。医界の新体制とか旧体制とかいふことは、医者だけしてゐないから問題になるのである。自分はさういふ意味において旧体制も新体制も超えて永遠の体制によつてやつてゐるのだ」といふことを云はれてをりました。私はその信念について非常に敬意を表したのであります。しかしそのお医者さんに私は恐る恐る尋ねたのであります。その土地は日本でも有数な結核の多い、また乳幼児の死亡率も近年非常に増加してゐる、その土地の只中に住んでをるお医者さんであります。そのお医者さんが、況んや自分の住んでをる土地の健康乃至衛生の問題について、どの程度の関心をもつて、それに対してどの程度の対策を講じてをられるか、不幸にしてそのお医者さんは、自分一個の病院の経営に没頭してゐる以外、その土地の保健衛生の問題について、どこにも働きかけたといふ事実を知らなかつたのであります。従つてさういふ質問をしたのでありますが、そのお医者さんは「さういふことは社会施設乃至公共事業としてやるべきで、つまらん医者がやるべきでない、開業医がさういふことに嘴を出す必要はないぢやないか」といふのであります。成程今日まではそれで通用したかも知れないが、この時局に国民悉くが新しい国家の態勢を整へるために協力しなければならない時代におけるお医者さんの考へとしては、聊か古いのではないかといふことを感じ始めたのであります。
その後で極くうち解けて話をすると、成程そのお医者さんは、自分一人
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