、決してさうではないらしいのであります。悉くの模範町村の調査はできてをりませんが、或は多くの模範村が、かういふ現象を呈しておりはしないかと思はれる所があるのであります。
また或る模範村は増産奨励の結果著しく好い成績を挙げてをります。この村はこんどはなんとなく青年の気風が凄惨で、風紀なども従来見られなかつたやうな点が、眼につくやうなことがあるのであります。
かういふ結果はどういふ訳で生ずるかと申しますと、なにもかも経済更生に向つて注意が集められる。全村の注意が悉く経済更生に向けられるため、これが必然的な結果とは思はないのであります。経済更生といふ運動の進め方如何によつては、全村の注意が非常に閑却せられる面ができる、その面がその間に非常に後退するのであります。これはどうしても、その村の経済更生が、もつと綜合的な立場から進められなければならない、これを言ひ換れば経済更生を図る村においては、同時に文化建設といふことが考へられなければならないといふことであります。そしてその文化建設が、即ち経済更生の有力な一つの基礎になるといふことになつて、はじめて模範村の模範村たる、完全なる姿を示すことができると私は思ふのであります。
かういふことを考へましても、文化職能人の如何に今日いろいろな面において、その智能を提供する場面があるかといふことが分ると思ひます。また都市においてもこれに似た例が非常に多いのでありますが、これはいづれまた申上げる機会があると思ひますので略しますが、今日まで「かうしなければならぬ」といふことが解つてはゐる、しかしそれが却々できないといふ処に現代の文化的弱点があるのだと思ひます。誰でも「かうしなければならぬ」とは云ひますけれども、然らば「どうすればできるか」といふことまでは却々考へない。ここに将来の文化団体の工夫と努力が必要でありまして、しかもその工夫努力は必死の工夫努力が必要であります、同時にそれは非常に強力なる組織の力といふものが必要だといふことになるのであります。
また「どうすれば問題が解決するか」といふその方法も亦多くは非常に簡単なのであります。しかもその簡単な方法が、実践に移し得られない処にまた今日の社会機構に、いろいろな矛盾があるのであります。私はさういふものと今或る意味において、闘つて往かなければならんと思ふのであります。
民間の自発的な協
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