に情熱をたゝへた、世に比ひなき美しい映像となつて浮びあがるのであります。
[#7字下げ]一四[#「一四」は中見出し]
昔から武士の「嗜み」の完全な姿を形容して、「花も実もある」といふ言葉があります。それは武士だけに限らず、日本人すべての理想もこゝにあつたに相違なく、つまりは、「力と美」への憧憬であり、「強くして優しい」人間像への讃美であります。
戦陣訓に「ゆかしく雄々しく」とあるのは、戦場に放ける将兵の「嗜み」をそれと示したものでありますが、これこそ、「花も実もある」の同義語と解してよろしからうと思ひます。従つてまた、これは、戦ひつゝある日本国民の姿として、今日、男女のすゞてに適応すゞき適切な標語であります
「花」とは心情の深さ、豊かさであります。知徳秀で、忠孝の志厚く、古今の書に通じ、芸道に明るく、挙止端正にして礼にかなひ、温容よく子供をなつかしめ、弱者に対して涙あり、想は磨かれて詩歌ともなり、人心の機微をつかんで、明察よく事を断ずるといふのがこれであります。
「実」といふのは、武人ならばむろん武芸に熟達し、勇気に富み、名を惜しむといふやうな武士本来の資格を完全に具へてゐることを指しますが、一般には、それぞれの職分を達成するための実質的能力と、事に臨んで臆せざる剛毅にして果敢な精神でありませう。
かういふやうに、「花《はな》」と「実《み》」とをはつきり分けて考へなくてもよく、また事実、さうはつきり分けられないところもありませうが、便宜上こんな説明をしてみただけです。
こゝで注意すべきことは、「戊申詔書」のなかにも、「華ヲ去リ実ニ就キ」と仰せられてある、この「華」といふ言葉は、「花も実もある」の「花」ではなく華美とか浮華とかいふ場合の、軽薄な装飾、つまり、「虚飾」を云ふのでありまして、これはまつたく問題が別であります。
要するに、花《はな》と云ひ実《み》と云ひ、それが美であらうと力であらうと、単にその時々の心構へや努力だけではどうにもならぬものであります。
その意味で、「氏」と「育ち」は昔から、人間の人格価値を大部分左右するものとされてゐるのであります。が、少くとも、日頃の工夫鍛錬は、「育ち」の延長として、自己育成の仕上げともみるべき決定的事業です。「嗜み」の「嗜み」たる所以もまたこゝにあるのであります。
[#7字下げ]一五[#「一五」は中見出し]
前へ
次へ
全34ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング