るものであります。
 なぜかういふことになつたかといふと、やはり、前に戻つて、家庭の責任といふことになりませう。
 昔は、服装については実にやかましかつたのであります。それも、母親がちやんと、主人や子供たちの衣裳に関して、必要な知識と感覚とを具へてゐて、決して、世間で嗤はれるやうな恰好はさせなかつた。今のやうに、息子や娘に、「お母さんは洋服のことはご存じないから」とか、「お母さんの好みは野暮つたくて」とか、そんなことは、仮りにも云はせないだけの権威をもつてゐたのであります。
 息子や娘が従順であつたからといふ、たゞそれだけの理由ではないことを、私は確信してゐます。むしろ、昔は、慣例、仕来りといふことが厳格に守られ、服装の選択範囲も比較的限られてゐたために、さう複雑な知識や感覚を必要としなかつたといふことだけは云へませう。そこが、現代の母親の大いに用意と苦心のいるところであります。

 私は先だつて東北のある村を視察しましたが、たまたま国民学校の小さな生徒たちが、学校が退けてぞろぞろ家に帰る途中といふところに出くはしました。
 農村の子供たちの将来について、私は非常な関心をもつてをります。無邪気に戯れながら、三々五々、野道を後になり先になりして、家路へ急ぐのでありますが、家には誰が待つてゐるかと、私はふと思つた。農村の母親は、多分、今時は野良の仕事を一手に引受けてゐて、子供のためにおやつを用意して待つてゐるやうなことはありますまい。それほど忙しく、それほど、子供のことはかまつてゐられないのです。
 しかし、私は、その時、子供たちの服装をみて、どれもこれも、ひどいものだといふことに、聊かあきれたのです。どうひどいかといふと、それは、粗末だとか、汚れてゐるとか、そんなことではない。一種名状すべからざる「だらしのなさ」であります。それは、単なる醜さではない。なにか悲しげなものがある。私は心が真つ暗になりました。
 私は考へたのですが、それはまさしく、母親といふものの愛情が、子供の服装の上に、どういふ形ででも現れてゐないといふ無残な光景ではありますまいか。つまり、子供に着物を着せるといふ、その母親らしい心持が、それらの子供たちをみてゐて、ちつとも私には感じられないといふ事実です。
 農村生活の現状が若しかういふものなら、それは由々しいことだと、私はその土地の人にも語つた次第で
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