年にせよ、その人物が世の中にゐるといふだけで、既に、世の中の光明たり得るのです。何をしてゐる人間かといふことはその次です。
 ある職業が時に社会から軽視されてゐたとすれば、それはその職業本来の性質からではなく、その職業に従事するものの大部分が、如何なる意味に於ても、高い理想をもたず、美しい夢を失ひ、仕事と生活とを通じて、自ら矜りを捨て、顧みなかつたからであります。
 一見、職業の性質がさうさせたやうに見える場合でも、深く事実を見究めれば、決してさうではなく、社会の偏見を是正し、または、これと戦ふ識見と勇気とを欠いた、職業伝来の自卑的態度によるものです。故に、誰かが起ち上つて先づ自己革新の狼火を挙げ、進んで天下の蒙を啓かうとすれば、何時かは周囲が風に靡かぬ道理はありません。こゝにも既に、大きな夢があります。そして、一つの新しい典型はその夢からこそ創り出されるのであります。
 それならば、青年男女の夢を養ふものはなにかといふと、これまでは、多くは、英雄偉人の立志伝であり、或は、貞女烈婦の美談でありました。これからもそれは不必要だといふのではありません。卑俗な一攫千金の夢や、玉の輿に乗る夢などを追ふよりも、むしろますます、かゝる非凡人の努力の生ひ立ちに学ぶ方が、どんなにいゝかわかりません。しかし、それだけではまたいけない。もつともつと必要なことは、日本の歴史を深く味ひ、更に郷土の歴史を精しく調べ、同時に、青年としての自己の本分をしかと胸にたゝみ、その上で、人間の価値についての正しい批判の尺度を、傑れた文学によつて自分のものとすることであります。
 夢は手近なところから遠大なものへと伸びて行きます。
 勤労と修学とを含んだ日常生活からはじまり、「かくある自分」と「かくあるべき自分」との距りに気づけば、もはや、美しい夢の門口に立つたのです。自分を「かくあらしめる」工夫と努力に一歩踏み出せば、そこでは、おのづから、典型の創造が企てられてゐるのです。かうなつたら、夢の翼をひろげるだけひろげるがよろしい。夢は飽くまで美しく、飽くまで逞しいものとしなければなりません。しかも、それは如何に遥かなりと雖も怖るゝに足りない。たゞ、怖るべきは、純潔ならざるものの混入することであります。僥倖をたのむ心理が、夢に化けて忍び込むことであります。
 真に美しく、逞しい夢は、決して甘くもなく、また、明一色ではありません。苦難と歓喜を交へた戦ひの夢、戦ひに傷つき傷つき、しかも幾度か起ちあがつて遂に凱歌を奏する夢であります。従つて、真の新しい青年の典型は、ゆかしく凜々しい日本的典型の上に、若さのもつ健康と職分の嗜みとを加へ、日本青年としての雄大な気宇を自然に備へながら、男子は男子らしく剛毅に、女子は女子らしく柔軟に、それぞれ清純な風格をもつて人をして畏れ懐かしめるものでありたい。言葉をもつて典型を描くことは抽象の域を脱しないからこれくらゐにしておきますけれども、更に、私の望むところは、単に、男女青年がそれぞれ同性の典型を頭に浮べるだけでなく、同時に、異性の素晴しい典型をおのおの想ひ描くことによつて、健やかな一つの夢を抱いてほしいことであります。
 これは現在の青年にとつてまことに重要なことでありますが、結果として、いづれは、男女青年互に、それぞれの典型を、協力して創りあげることになるでせう。典型の完成であります。夢が典型を生み育てるといふ意味は、たしかに、かういふところにもあるのです。
 しかし、これは急ぐには及びません。日本の青年は、今や、夢と現実との交錯とも云ふべき大戦争によつて完全な試煉を受けつゝあります。男子青年の描かざるを得ぬ巨大な夢は、千里の海を越えた戦場に散る潔きつはものの誉であり、女子青年にあつては、やがて「おほみたから」を儲くる日の尊きおのが命《いのち》でありませう。
「兵士」と「母」、この二つの名は、そのまゝ、現代日本に稀な典型を創造した、またとなく厳粛にして清らかな名であります。

[#7字下げ]五[#「五」は中見出し]

 青年は「夢」に生きると云ひますが、それと同時に、青年は、屡々「憂欝」の囚となるものであります。いはゆる明朗闊達な青年と雖も、実はその例に漏れないのです。
 この「憂欝」の原因は、一つには、俗に「春の目覚め」と称する生理的変調にあるのですが、一つには、青年の「夢」そのものと密接な関係があるのであります。

 生理的理由から来る「憂欝」は、医学の立場からすれば、一種の気分転換によりこれを克服すべきだと云ふのであります。即ち、勉強とか運動とかに専心すること、宗教や芸術に没頭することなどが、具体的に示されてゐます。時に、身体を規則的な操作によつて疲労に導くことが最も効果的であると云はれてゐます。
 その方面のことは、一応専門家に委
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