生活のなかゝらは、一億一心などゝいふすがたは断じて生れる筈がありません。路傍ですれ違ふ人々は、見ず知らずの人として、互に冷かな眼を向け合ひ、電車のなかで人が転んでも、手をかして起さうとするものがないのです。
 人を見たら敵と思へなどゝいふ教へが、まだどこかに残つてゐるのでありませうか? これがそもそも、今日の日本を少しは暗くしてゐやしないかと思ふのであります。
 国家の総力という点からみて、われわれの最も警戒すべき弱点は、恐らく、このへんにありはしないかと思はれます。しかし、これは決して、本質的な日本人の欠陥ではなく、いはゞ、外敵の侵入に脅かされたことのない国民の、暢気さが、日常生活の心構へを知らず識らず不徹底なものにしてしまつたのであります。
 われわれの生活が、現在のやうなものである限り、私は、はつきり申していいと思ふのでありますが、今直面してをります国家の危急を立派に切り抜けることは覚つかないと思ひます。日本はどんなことがあつても戦ひに敗れないといふ信念は、信念としては国民ひとしくこれを有つてをりますが、また事実としても、日本人にとつて一番大事なものだけは失はないといふ意味に於てそれは実証されるでありませうが、しかし、今度こそは、うつかりすると、その次ぎに大事なものぐらゐは失はないと保証できないのであります。
 われわれには、既に日本人としての雄大な理想があり、個人個人としては優れた頭脳と鋭い感覚があり、君国のために潔く生命を捧げようとする祖先以来の遺風を固く拝してゐるのであります。それでゐて、この日々の生活の低調さ、お互にうんざりするやうな低調さはどこから来るのでせう。
 われわれは先づ何をおいてもわれわれの生活を戦時体制におき換へなければなりません。
 それはたゞ、物資の節約といふやうなことだけではありません。生活をきりつめるのも、生活に力を与へることでなければならないのであります。それがためには、一軒一軒がたゞ物を買はないやうにするといふやうな消極的な方法ではもはや追つつきません。
 消費の規整は、生活の単純化から始り、生活単純化の最も有効な手段として、生活の協同化が考へられ、生活協同化は、消費の面から生産の面に伸び、更に、相互扶助、隣保親善の精神を養ひ、生活の明朗化にまで発展しなければなりません。
 生活の単純化は、これも亦、生活を貧しく、殺風景にすることではありません。因襲と見栄に囚れた生活ぐらゐ、無用に複雑で、精力と物とを空費させるものはありません。生活の単純化は、すなはち、心をゆたかにし、人間にほんたうの品位を与へる、簡素の美しさを創り出すことであります。
 生活の協同化とは、小にしては隣組、大にしては町内または部落、更に、一市一郡といふやうに、生活のある部分を、協力して築き営むことであります。協同献立、協同炊爨、協同託児所のごときがそれであります。これは、もとより、能率に関係があり、生産力拡充には最も必要なことでありますが、一方、国民の性格訓練としても、是非とも励行したいものであります。そこからは、現在われわれの社会生活に最も欠けてゐる秩序の美と力とが養はれるでありませう。更にまた、日本人は、元来、人と一緒に働くことも遊ぶことも不得手であります。そのために、われわれの能力と価値とが百パーセント発揮されてゐないのが偽らぬ事実であります。そればかりではありません。生活の楽しい協同化は、ゆがめられた日本の家族主義を、健全に建て直す唯一の道であります。
 この新しい生活から、真に希望とよろこびとが生れたら、その時こそわれわれの生活力は幾層倍かに高まり、初めて戦に臨み得る体制が整ふわけであります。
 そして、これこそはまさに、国民自らの手で完成すべき大革新であると同時に、また、これが日本人の生活の本来のすがたであり、そこにこそ、ほんたうに日本的な道徳と、科学と、芸術との偉大な根源があるのであります。
 わが遠き歴史が、われわれを教へ導いたのはたしかにそれであります。
 私は、国民の一人として、もう一度、同胞諸君に愬へます。
 われわれが、われわれの力によつて、今直ちになし得る国民としての戦備は、われわれ自身の生活の建て直しであります。
 生産力拡充のために、
 消費の合理的規整のために、
 体力増進のために、
 元気を振ひ起すために、
 そして、それらが、いつまでも続くために、
 生活の単純化、協同化、明朗化を、今すぐに実行しようではありませんか。
 日本人の生活の黎明は、すなはち、わが光輝ある国体の顕現であり、また同時に、八方の敵を慴服せしめる一大威力であることを、お互にはつきり自覚いたさなければなりません。(昭和十六年八月)



底本:「岸田國士全集25」岩波書店
   1991(平成3)年8月8日発行
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