趣味としてむかへば無限のたのしさが生じるやうに考へられます。またさういふ風に、たのしんで料理や裁縫に没頭してゐる婦人の生活には、他の者にはわからない味ひがあるのでありませう。
日常生活のたのしみは、普通、暇と金とさへあれば、わけなく得られるやうに考へてゐる者がありますが、これは大変な間違ひだと思ひます。ふだん、忙しく仕事に追はれてゐる者が、時たま休養の時間を得るといふことは、理窟なしにたのしいことに違ひありませんけれども、その休養の時間を最も有効に過すといふことは、決してその時間の長いと短いとに関係があるわけではなく、また使用し得る小遣ひの高には関係がありません。
要するに私の考へでは、その時間を誰と共に過すかといふことで決るのだと思ひます。いひかへれば、われ/\は同じ時間を愉快にすごすのも退屈してすごすのも、多くは一緒にゐる相手次第だといふことがいへるのであります。これは遊ぶ時だけではなくて、仕事をする時も同様であります。頭を使ふ仕事の時だけではありません。筋肉を働かす仕事の場合も同様です。
そこで、われ/\の生活の大部分は、家庭にあるか職場にあるか、いづれにしても常に誰かと一緒にゐるわけであります。こゝで、私は生活のうるほひの大事な要素として、愛情を加へたいと思ひます。
ひと口に愛情といひますが、人間の愛といふものは非常に広い範囲をふくめた感情であります。しかし特に、私がこゝで挙げたいのは、親子の愛とか夫婦の愛とかいふ、いはゞ相場のきまつた愛だけではないのであります。特に日本では、昔から、義理人情といふ言葉で呼んでゐる、あの厳く、しかも温い、世の中の掟であります。
由来、日本の社会はこの義理人情で結ばれた美しい社会でありました。ところが、今日ではさういふ特色がだん/\失はれて、お互ひにこれでいゝのかといふやうな節々が多くなつてきました。大都会などになると、無責任な行動と、よそ/\しい態度がいたる所に見られます。少くとも自分のことばかりに気をとられて、うつかり人の迷惑になるやうなことをやつて、平気でゐる場合が往々にしてあります。お互ひに味気ない思ひをさせ合ひ、気を腐らせられてゐるのであります。
義理人情も、かたくなゝ一人よがりになつてはいけませんが、この世の中をほんたうに住みよくし、人と人とが心から信じ合へるやうになるのは、この理窟を越えた義理人情が大
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