しら。
夫 さあ、お前に出来ると思つたらやつて見るがいゝ。(詩人の、「エヘンエヘン」といふ声)
妻 (平気で)うるさいのね。人が話をしてゐるのに、せきばらひなんかして。
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この時又玄関の格子が開き、
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声 渋谷君居ますか、僕です。茶木《ちやき》です。
夫 (勢よく立上り)居るよ、上り給へ。
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客はもうづか/\と上つて来る。
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茶木 (両手で麻雀《マージヤン》をやる真似をしながら)どうだい一番。
夫 よからう。
妻 久しぶりですわ。鴨子さんも如何《どう》?
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一同は卓《テーブル》を囲み、賑やかに麻雀《マージヤン》をはじめる。わけても主人夫婦のはしやぎ様は一と通りでなく、妻は夫の腕をつねり、夫は「痛い、こん畜生」などと他愛もない和合ぶりを見せる。二階からはしきりに「エヘン、エヘン。鴨子さん、エヘン。鴨子さん」で、遂に綿のはみ出したかけ蒲団が麻雀卓《マージヤンテーブル》のそばへころがり落ちて来る。
一同はやゝ驚いた風をするが、後は何事もなかつたやうに、夢中で牌をわけはじめる。やがて、帽子をかぶり、鞄をさげた詩人が下りて来て、玄関の方へ行かうとする。
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妻 鳥羽さん、どつかへいらつしやるの。
詩人 えゝ。
妻 いつてらつしやい。
詩人 (急にその方をふり返り)何処へ行くか知つてますか。
妻 お引越になるの?
夫 あ、本当ですか、鳥羽さん、それや残念ですな。
詩人 はゝゝゝ。なる程、引越しとまでは僕も気がつかなかつた。いや、さう仰つしやれば、実はその引越しをするつもりです。鴨子さん、あなたも何か仰つしやい。
鴨子 あら、本当ですの。ぢや御機嫌よう。先生。
詩人 それだけ? よろしい。僕は詩人だ。人がわすれてゐるものを思ひ出しさへすれば、それで役目がすんだのだ。荷物は何《いづ》れ宿がきまり次第とりに来ます。
夫 確かにお預りしておきます。僕たち夫婦で、今度は責任をもちます。
妻 お蒲団の綻びも、それまでに縫つておきますわ。
鴨子 あたしの差上げた栞《しをり》だけ、お持ちになつてね。
鳥羽 いゝな、その言葉は。しかし、滅多に使ふのはよし給へよ。ぢや皆さん、永《ながら》く御厄介になりました。いや/\、どうかそのまゝ。(誰も送つて出ようともしない。詩人は玄関の方に去る)
鴨子 本当に引越すの、あの方。
妻 あれで心はいゝ人ね、すこしうるさいだけよ。
夫 だが、呑込《のみこみ》だけは早いな。察しのつくこと驚くべしだ。
茶木 簡単に出て行くね。どうだい、代りに僕が来ようか。
夫 (顔を見合せ同時に)もう人をおくのは、コリ/\だ。
妻 もう人をおくのはコリ/\よ。
鴨子 あたしなんだか、気の毒になつて来たわ。
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不意に鳥羽があらはれ、手紙を放り出す。
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鳥羽 郵便が来てましたよ。(よごれた二足の下駄をすかして見る)
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玄関が暗くてよく見えない。
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妻 (封筒の宛名を見て)あたしんとこだわ。
茶木 (鳥羽の方を見て)あ、それ、片方は僕んです。
妻 (封筒を裏返し)おや、門司のをばさんからだわ。たうとう駄目だつたのかしら。(開封して黙読す)
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鳥羽と茶木とは、下駄を代る代るにとりかへて見比べる。
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妻 (突然)人を馬鹿にしてるわ。(一同驚く)
妻 (夫に)これ御覧なさい。をぢさんは気が違つてゐるんですつて――だから何を言つても本気にするなつていふのよ。
夫 (読みながら)なんだ、これで見ると金持どころの騒ぎぢやないぢやないか。
妻 人さへ見れば、五万円|宛《づつ》やるつていふらしいわね。なるほど、それぢや病気だわ。
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鳥羽、茶木、鴨子何れも唖然としてこの話を聞いてゐる。
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鳥羽 (にや/\しながら)さういふ病気は苦しくないだけいゝよ。
妻 まつたくだわ。
鳥羽 そこで我らは又逆戻りだ。(二階へ上りかける)
夫 (てれくささうに)ぢや鳥羽さん、御覧の通り世帯はまた開業ですから、どうかよろしく。
鳥羽 いやなに、どうぞ御
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