ゐる。
詩人  僕が聞きたいつていふのは、その成立ちでなく、あなた方|今日《こんにち》現在の関係、つまりその、世帯休業といふものに関する規約の条文です。
夫  それはつまり……(と言ひながら、机の抽斗《ひきだし》を開け、紙片を出す)
妻  第一に、我々夫婦は……。
夫  ちよつと待て、読んでみます。
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 我々夫婦は左の規約に基き、一週間の間、夫婦関係より生ずる一切の精神的物質的負担を排除す。
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一、夫婦は互に相手の存在を無視し、行動の自由を保ち得べきこと
一、夫婦は何《いづ》れも、現在の住所に起居する場合、談話応対等、全く従来の習慣を破毀し、総て別人としての待遇をうくべきこと
一、夫婦は、双方の自由意志又は家政一般に関する問題につき、如何なる場合といへども、助力、干渉、命令、相談、注文等をなさゞること
一、夫婦の一方が、一家共同の名誉利益に反する行為をなし、又は故《ことさ》ら相手に苦痛を与へんとする言動を犯したる時は、将来永久に夫又は妻としての権利を放擲したるものと認む
一、夫婦の一方が、疾病《しつぺい》に罹《かゝ》りたるときは、隣人として看護の労をとること、たゞし、体温三十八度以下の風邪、又は単に頭痛腰痛み等にありては、必要に応じ、薬を調達するのみをもつて足れりとす
一、休業中と雖《いへど》も、金銭の支出は、毎月の予算を超過せざること、但し、炊事停止による丼物《どんぶりもの》の勘定は、この限りにあらず
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詩人  なるほど、可なり厳重ですね。しかし、僕がゐないものとして作られた規約なんだから、そこを少し改正して、なんとかならんこともありますまい。
夫  改正するとすれば、第二項に但し書を入れるんだが、双方異議はないかな。
妻  あたしの方は大いにあります。但し書によつて、この条項は全く死んでしまひます。行動の自由が全く保たれなくなります。
夫  それは止むを得んさ。われ/\は家庭以外に、束縛をいくらもうけてゐる。一方が下宿人の世話をすれば、一方が会社へ勤めなけれやならん。その点|寧《むし》ろ、現行規約は不公平なくらゐだ。
妻  一旦決めたもんを、そのくらゐの理由で、変更するのは不賛成です。
詩人  よろしい
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