か、蜘蛛がまた巣をかけたわ、あたしの頭の上へ……。
女郎花  (これも頭に手をやつて)あら、あたしの頭へも……。
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       第三場

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舞台は前に同じ。
翌朝――
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芒  あの婆やさん、さつきから、うろうろ歩きまわつて、一体、何を探してゐるの。
桔梗  昔の恋人の名でも落したんぢやない。
芒  え?
桔梗  いいえ、なんでもないの。
芒  またきたわ。

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(老婆現る。不安な様子)
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女郎花  婆やさん、なにを探してらつしやるんですの。
老婆  (その声が聞えぬらしく、あたりをきよろきよろ見廻しながら)お嬢さま……お嬢さま……。
桔梗  お嬢さんが見えないんですか。
老婆  (それに頓着なく、一層声を張り上げて)お嬢さま、何処にいらつしやるんです、か……。(一段声を落して)ほんとに、この婆やを心配させないでくださいまし……。ちよつと眼をはなしてるひまに、どこへいらしつたんだらう……。
女郎花  婆やさん、婆やさん……。
老婆  (答へない)
女郎花  お嬢さんは、なぜお一人きり、こゝに残つていらつしやるんですか。何かわけがあるんですか。
老婆  (暫く考へた後)あのお召物でよそへいらつしやるわけはなし……。いやいや、あの調子ぢや、どうかわからない…。さあ、困つた……。(といつて、歩きかけた時、ピアノの音が聞える。びつくりして立ち止る。が、やがて)おや、やつぱり、いらしつたんだ……。(急ぎ退場)
女郎花  あの婆やさんは聾か知ら……。

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(この時、少女が楽譜を手に持つたまま現れる)
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少女  まあ、綺麓に花が咲いて……あなたは女郎花さんね。今日は……。そつちが桔梗さんね。大きな桔梗さんね。それから芒さんもゐるのね。何時からそんなところに咲いてたの。あたし、ちつとも知らなかつたわ。みんなが、あたしのことを病気だつて、外へ出さないんですもの……。

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(老婆が、後ろから恐る恐るついて来る)
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少女  さ、みんなで、一緒に遊びませうね。何をして遊びませう、歌を唄ひませうか。え、歌、知らないの。まあ、かういふ歌も……。(小声で歌を唱ふ)そいぢや、お話をしませう。桔梗さんあなた、お話、上手らしいわ。さ、して頂戴……。(彼女は、耳を澄まして、桔梗の話を聞いてゐるかのやうである。眼を見張つたり、笑ひたさうに手で口を塞いだり、しんみりうなだれたり、快活に手を叩く真似をしたりする)
老婆  (静かに少女に近づき哀願するやうに)お嬢さまどう遊ばしました。お嬢さま、なにをそんなに……。(泣かんばかりに)お嬢さま、婆やの声がお耳にはひりませんか。
少女  (全く夢中で)さ、今度は女郎花さんの番よ……。今度は、もつと悲しいお話をして頂戴。悲しい、悲しいお話よ……。(静かに、眼をつぶるやうにして、耳を傾ける)ああ、それがいいわ……。(しきりにうなづく。やがて眼に涙が溜る。一滴、二滴、涙が頬を伝ふ。肩がだんだん大きく波をうつ、しまひに、両手で顔を覆ふ)
老婆  (驚いて少女の肩に手をかけ)お嬢さま、お嬢さま、それがあなたの病気なんで御座いますよ……。さ、婆やとお話をして下さいまし……。婆やが面白いお話を致しませう……。
少女  今度は、芒さん、もつと、もつと悲しいお話をして頂戴……。ええ、どんなに悲しくつてもいいわ。
老婆  いけません、お嬢さま……。あなたは、御自分で病気をお癒しにならなければいけません……。一度だけ、婆やとお話をして下さいませ。さ、婆やが、悲しい悲しいお話しを致しませう。
少女  芒さん、なにをそんなに考へてるの。さ、もう、あたし聞いてるわよ。
老婆  昔々、ある処に、珠子さまといふお美しいお嬢さまが御座いました。お父さまも、お母さまも、それはそれは、珠子さまをお可愛がりになりました。珠子さまは、お美しいばかりでなく、それは悧巧な、優しいお嬢さまで、先々は、どんなに立派な旦那さまをお持ちになるかと、世間でも、みんな、お噂を致してをりました。その珠子さまが、どうしたわけか、この夏から……。
少女  (急に大声で笑ふ)いやね、ちつとも悲しくなんかないわ、そんなお話……。
老婆  いいえ、こんな悲しいお話は御座いません。この夏から、急に……急に……草花や鳥けだもの[#「けだもの」に傍点]などとばかりお話をなすつて……。
少女  芒さんつて随
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