、立派に存在の理由があるのである。
小数者の為めの芸術を滅すことが、必ずしも多数者の為めの芸術を栄えしむる動機とはならない。
一般公衆の意志に力を与へ、感情を浄化するやうな芸術家は、なるほど、あつたことはあつた。これからも、一世紀に一人か二人は世の中に現はれて来るだらう。彼等は、先づ偉大な人格の所有者でなければならない。これを偉大な芸術家と、多くは呼んでゐる。
借問す、偉大な哲学者、偉大な宗教家、偉大な政治家が、芸術家と――偉大な芸術家と呼ばれなかつた理由はどこにあるか。
総ての芸術家は、人間が人間である程度以上に、芸術家であることはできない。
総ての芸術家に偉大たれと望む批評家には、総ての我が児に幸あれと望む親心以外に、果して、我児はみな偉大たり得ると信ずる世間の親馬鹿ちやんりんに似たものはないか。
芸術家には、なるほど、特殊な天分がある。然し、さういふ天分をもちながら、自ら芸術家と名乗らない、幾千幾万の人が、世間にゐることを御存じありませんか。まして、芸術家に均しい想像力と感受性をもち、少くとも、それと均しい明知と思慮を備へた人が、芸術家と自称するものゝ周囲に、鋭い眼を向けてゐることを御存じありませんか。かういふ人たちは、人として、どれだけ芸術家に劣つてゐるか。彼らの生活は、芸術家の生活に比して、どれだけ貧しく、どれだけ暗いか。彼らは、幾度、自称芸術家に対して、われらの求むるものは他に在りと云つたか。
芸術は、果して、これらの人と没交渉でなければならないか。これらの人に、芸術は何を教ふべきか。何を学ぶべきか。
一般公衆を目して牢獄に呻吟するものなりとする芸術家よ、卿らは、果して窓外の光を家とする幸福人類なのか。果たまた、壁の彼方に明るき世界あることを感知して、第一にその壁に孔を穿つ明智と勇気の独専者なのか。
卿らが、たとへ、その壁に一つの孔を穿ち得たりとせよ、卿らが、穿ち得たりとする孔は、既に彼らの穿ちたる孔の隣にあるかも知れないことを気をつけてほしい。そして、この孔より外を見よ、そは汝らの見知らざる世界なり、などゝ喚くことは慎んでほしい。
芸術家が、仮に公衆と区別さるべきものとしよう。芸術家が、仮に、さういふ小窓を明け得るものとしよう。
芸術家は、さもその窓が、ひとりでに明いたやうに、公衆と共に、その窓を指して叫べ――「おゝ、美しき光よ
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