。
グランジュ 実は、こいつを見せたくもあるのだが、その序文のことで、我輩、少し、云ひたいことが、こゝへ(胸をおさへ)つかへてるんだ。
プルウスト やつぱり気に入らないつていふのか。
グランジュ いや、いや、それどころぢやない。しばらくお喋舌をしてもいゝかい。
プルウスト いゝとも…………。
グランジュ 最初の手紙にも書いておいた通り、我輩が君に頼んだのは、たゞ、あのオオトイユ時代の思出を書いてもらひたいといふことだつたんだ。我輩の提灯持ちを頼んだ覚えはない。
プルウスト …………。
グランジュ 我輩が親爺にせがんで、あの菩提樹のあつた芝生へ、アトリエを建てさせた時代さ。君が、親爺の診察室から出て来るのをつかまへて、無理に、カン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ァスの前へ坐らせた、あの時代の、お互に今日あることを知らなかつた、あの時代の思ひ出を書いて欲しかつたんだ。
プルウスト それを書いたつもりだが…………。
グランジュ それも書いてくれた。しかし、君は、書かないでもいゝことまで書いた。我輩は、君が云つてくれるやうに、今日、名を成した画家かどうか? 君の友人たちは、ジャック・グランジュといふ画家を知つてゐるかね。少くとも、君たちの新仏蘭西評論《エヌ・エル・エフ》は、我輩にルノアールの印象を書けと註文はしたが、我輩の展覧会は、見事に黙殺してゐる。それは当り前のことだ。君が、この序文の中に書いてゐるやうに、我輩の描いた絵は、何処の家でも、一番暗い部屋の、一番目立たないところに掛けてある。それも、どうかすると、我輩を招待した日だけ、そこへ出したやうな掛け方をしてある。君は、それを、流行以外に目のない社交婦人の計ひに帰してゐるが、すぐその後で、我輩の絵は、今日一つの流行を作つたなどと、君に似合はないとぼけ方をしてゐる。君は、なぜさういふ事が云ひ度いのだ。
プルウスト …………。
グランジュ 我輩が、君に序文を求めたのは、云ふまでもなく、君のやうな傑物を、幼馴染にもつた光栄を、天下に誇りたいからだ。さうだ、それだ。君の文章で、ラルウスも忘れてゐるやうなヘツポコ絵かきが、一躍、巴里の画壇に重きをなさうなどゝ、露ほども考へてはをらんよ。我輩の年で、芸術家名鑑に一行の閲歴も載つてゐないやうな画家がほかにあるかね? 君が、この文章の中で、暗に苦心をしたところがよくわかる。何処を苦心したかと云へば、我輩を如何にして、「一人前の」芸術家として取扱はうかといふことだ。
プルウスト …………。
グランジュ いや、君からの手紙でも、その苦心は察しられた。君の周囲が、この序文問題で、どういふ風に動いたかといふことも、薄々知つてゐる。君には、非常な勇気が必要だつたのだ。我輩は、殆んど後悔したくらゐだ。だからこそ、君の再三の手紙に、我輩は再三答へたのだ――率直に書いてくれ。決して我輩に花を持たせる必要はない。…………待ち給へ。批評的でなくては書けないといふなら、何処をどう突いてくれてもいゝ。君が序文を引受けてくれたことだけで、君の友情は信じることができる。かう答へた。だが、君は、まさか、我輩が、その友情に縋つて、君から何ものかを求めようとしてゐたのだとは、考へてくれまいね。
プルウスト …………。
グランジュ 我輩が君のところへ押しかけない日は、君が我輩のところへやつて来た、あの頃から、もう三十年近くになる。その間にお互偶然に顔を合はせたことが、忘れもしない、たつた三度だ。同じ巴里に住んでゐてだよ。君が、ゴンクウル賞以来、我輩がニニイとの馴れ初め以来だ。その間に、ドレフュス事件がきつぱり二人を引裂いてしまつた。君は、その当時、いや、今でもかも知らんが、ドレフュス党であることを大変自慢にしてゐた。しかし、そんなことはどうでもいゝ。我輩は君の消息を、一から十まで知つてゐたのだ。君の家の夜会に、今度は誰々が呼ばれてゐるといふことや、君の「スワン」が、最近スカンヂナヴヤ語に訳されるといふことや、そんなことまで残らず知つてゐた。
プルウスト …………。
グランジュ そればかりではない。我輩は、到る所で、会ふ人毎に、君のことを喋舌り過ぎると思ふくらゐ喋舌つた。喋舌らずにはゐられないんだ。君の話をする時ほど、人が我輩の言葉に耳を傾けてくれる時はないんだ。そのためではない。そのためではないが、我輩は君の書くものは、全部、悉く読んでゐる。愛読…………そんなけちな読み方ぢやない。なあ、おい、マルセル、我輩は、血眼になつて読んだんだ。
プルウスト …………。
グランジュ あの筆で、いや、あの素晴らしい感覚で、あの頃の二人のことを書いて欲しかつたんだ。君の名前だけで、この本を飾るつもりはなかつたんだ。君が送つてくれた序文の原稿を受け取つて、
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