。君の家には立派な馬車があつて、何処へ行くのにも大概それに乗つて出たものだ。それが、あの服装で、乗合だ。我輩、不思議に思つて、何処へ行くと訊ねたら、君は、妙に照れた顔をして、舞踏会だといふ。益々可笑しいと思つて、何処のつて訊くと、君は、ワグラムの舞踏会だつていふぢやないか。当時ワグラムの舞踏会つて云へば、大家の下男下女が、月一度の休みに開くワグラム軒のあれ[#「あれ」に傍点]ぢやないか。我輩は、驚いたが、また君のことだから、そんな酔狂をやるんだなと思つて、そんなら、もつと威張つて行け、招待されたやうな神妙な顔附は止したらいゝだらうなんて揶揄つた。すると、後で知れたんだが、ワグラム公爵夫人の夜会に行くところだつたんだつてね。家の馬車が、満員で、君一人乗合でやらされた、それを君は、大いに悄気てゐたわけだつた。我輩は、それをまた手柄顔に吹聴して歩いたもんだ。ハヽヽヽヽ。君は、そのことを、人事のやうに突つ放して書いてる。
プルウスト 今書けば、どうせ人事さ。
グランジュ だが、実際、君には、うつかりしたことは云へないよ。あれはどうだ、あれはもう人事かね。君が、あの処女作の沸きかへるやうな評判の中で、毎日、ヨカナアンのやうに憂鬱な顔をしてゐた頃だ。我輩の顔をみると、いきなり、かう云つたもんだ。――ねえ、君、僕のところへ、もう何通、いろんな奴から手紙が来たと思ふ。八百七十通だよ。それから、ポオル・モオランといふ男が、讃歌を作つて寄越したよ。新聞や雑誌の批評は碌に見ないが、目についたやつは腹の立つことばかり書いてある…………。我輩が、それや、味方もあれば敵もあるさ、かういふと、なに、みんな味方面はしてるんだ。ところが、その味方面が癪にさはるんだ。そこで、我輩は、なんて云つたか覚えてるかい?
プルウスト (笑つてゐる)
グランジュ ――まあ、さう怒るなよ。また親爺が、当分絶対安静を宣告するぜつてだ。君は、昔から、正しいといふことに対して、百合の花のやうに無垢な考へ方をしてゐた。そんなことは、片眼鏡式外交官的心理小説家などに解る筈はない。ねえ、おい、マルセル、我輩は、君に、毎日でも会ひたかつたんだ。みんなが君に会ひたがつてゐるやうに、我輩も会ひたかつた。今だから云ふが、もう十年も前のこと、一度、こんなことがあつたよ。君を例のオッスマン通りの家へ訪ねたんだ。門番の奴が――プルウ
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