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ところが、その後、僕は、日本に帰り、ヴィユウ・コロンビエ座が解散し、彼女をはじめ一座の人々の消息を、しかと伝へ聞く術がなかつた。
テシエなどと共にジュヴエの許に走つたか、十五人組と行動を共にしたか、それともどこかブウルヴァアルの劇場に入つたか、そのへんのところはまだ調べてもみないが、この映画に現はれた彼女は、僕の観るところ、定めし「よき修業」を重ねたに相違なく、再会の悦びを割引するとしても、当今、一流の「新劇女優」たるに恥ぢない技倆を認めさせるものであつた。
僕が特に「新劇女優」と呼ぶ所以は、彼女が、その驚くべき舞台的成長にも拘はらず、毫も芸人的「粉飾」によつて自らを目立たしめようとしてゐないからである。言ひ換へれば、その扮する人物の、厳粛素朴な構成を最高度に生命づける「芸術的演劇」の精神が、彼女の全身に漲つてゐるのを感じたのである。役柄も地味であるが、それだけに、この女優の「内的な」美しさが演技の魅力を醸し出し、誇張とマンネリズムを排した「魂の表現」は、正に堂に入つたものと、僕は、それだけで、不覚にも眼頭を熱くした。
よき環境に置かれ、よき指導者を得、彼女は遂にこれまでに
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