ス嬢の嫉妬を受けて国立劇場を追はれ、オデオン座に入つた。彼女はあらゆる生活の辛苦を嘗めながら、舞台に流す涙の残りを夫の枕頭に注いだ。
彼女は、一切の誘惑に打克つた。そして、ヴィニイが云つた如く「理想の純潔さ」の中に夫の後を追つた。
どうです。かういふ女優もあります。(尤も此の女優については、全然これと反対な風説もある)
フェイ・ヴォルニイといふ女優は、同時に熱烈な加特力教的詩人であつた。
デュマが、自作「カリギュラ」の主人公、メリサンヌの役に彼女を推した時、彼女は、断然之を拒絶した。
「正しい女は、さういふ穢らはしい役に扮することを恥ぢなければなりません」
彼女は心臓病で将に息を引取らうとする時、静かに眼を見開いてかう呟いた。
「イエス、マリヤ、どうか、あなたの平和と愛の天国で、わたしに美しい役を演じさせて下さい」
今は故人となつたアンリイ・バタイユの愛人は誰も知るイヴォンヌ・ド・ブレエ嬢である。バタイユは彼女の為めに書き、彼女は彼の為めに演じた。
バタイユが急病で斃れた時――それはブウロオニユ街の美しい並木に添つた宏大な邸宅である――イヴォンヌ嬢は入浴中であつた。慌たゞしい家人の足音に、部屋着を肩にかけたまゝ、アンリイの寝室に飛び込んだ。彼はもう口を利かなかつた。彼女は一生に一度、ほんとうに泣き狂つたと伝へられてゐる。
彼女は舞台を退く決心をした。が、一年後、亡き情人の自伝劇「裸体の女」を提げて再び巴里の舞台に現はれた。
フランスワ・ポルシェは、古典的な気品と、浪漫的な情熱と、近代的な冥想とを併せ備へた新進劇詩人である。
彼が今日の位置を築き上げ、逆つて、その進路を見出したについては、甚だ興味あるエピソオドが伝へられてゐる。
彼はもと抒情詩人である。欧洲戦争中、マルヌの勝利を歌つた彼の詩が、ソルボンヌで行はれた戦勝祝賀会席上で、コメディイ・フランセエズの花形シモンヌ夫人によつて朗読された。聴衆の熱狂的拍手に涙ぐむまで胸を躍らした青年詩人ポルシェは、満腔の感謝を捧ぐべく直ちにシモンヌ夫人を訪れたのである。
彼女は親愛な弟に送る微笑を以て彼を迎へた。そして彼女は云つた。
「いゝえ、それは、あなたの詩が人を撃つ力をもつてゐるからです。あなたの詩から受ける感激は美しい戯曲のもつ魅力です。あなたが劇をお書きになれば、きつと佳いものができるでせう
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