純粋演劇の問題
――わが新劇壇に寄す――
岸田國士

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)幻象《イメエジ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)素人劇[#「素人劇」に傍点]が
−−

       一

 あらゆる芸術の部門を通じて演劇の理論といふものは、特にこれを実際に「試み」る機会が少く、従つて、その理論に確乎たる根柢を築くのに容易でない事情にある。
 所謂「近代劇運動」の史的考察が、この意味で絶えずその中心を見失はれようとする傾きがあることも、われわれは既に気づいてゐるのである。
 十九世紀後半に於ける諸芸術の「純化運動」に、演劇も後れ馳せながら参加した事実は、世人も等しく認めてゐることと思ふが、この「手入れ」は、演劇といふ庭に限り、それがあまりに荒れ果ててゐたためと、また、あまりに木石の類が多すぎたために、ほかの庭よりもずつと遅れてしまつた観があり、漸く一と通りの草むしりを終つた程度で、早くも、職人たちは仕事を投げ出してしまつた。
 詩、小説は固より、造形美術、音楽、舞踊、さては、まだ生れて幾らにもならぬ映画の方面でさへ、あらゆる社会層への食ひ込みを目ざす一方、かの「純粋」の名を冠せられる真摯な運動が、今日では、立派に、存在理由をもつてゐるに拘はらず、独り演劇の部門――戯曲をも含めて――に於てのみこの運動が中途半端のまま葬り去られようとしてゐる現象は、どうしたものであらう。
 実際、私の知る範囲では、「演劇の純化」を標榜するフランス自由劇場以後の諸運動乃至その指導者も、未だ嘗て、「純粋演劇」といふ問題には触れてゐないやうである。僅かに、ゴオヅン・クレイグが、その理想家的感傷をもつて、「演劇の独立」を叫んではゐるが、その実、「演劇をして演劇のみの演劇たらしめる」主張は、単に、舞台より「文学」を排除するといふ空漠たる目的のために、却つて、演劇の生命を稀薄にし、而も実際は、常に、優れた文学的作品のみに頼るといふ自家撞着に陥つたことからみても、この理論は最早、空論に終らうとしてゐるのである。
 過去半世紀に至つて、「演劇の独立」は、各方面から、いろいろの分野に於て叫ばれたことは事実である。先づ第一に、商業主義よりの独立である。第二に、職業的因襲よりの独立である。第三に、官学的伝統よりの独立である。第四に、文学的レトリックからの独立である。その間、反動として、素人劇[#「素人劇」に傍点]が生れ、詩人劇[#「詩人劇」に傍点]が生れ、美術劇[#「美術劇」に傍点]が生れ、電気劇[#「電気劇」に傍点]、機械劇[#「機械劇」に傍点]などまでが生れようとしたが、結局、舞台はといふよりも寧ろ演出家と俳優は、必然的に、戯曲、即ち文学の指向する道を知らず識らず歩まされて、今日に至つてゐる。彼等は、しかもなほ、口を揃へて、「新しき戯曲出でよ」と云ふのである。
 私は、彼等が何を求めてゐるかを知らないが、少くとも、「新劇運動」の一員を以て任ずる彼等が、一攫千金を夢みてゐるとは信じられないし、「過去に在つた」ものの複製を探してゐるとも考へないから、只単に「変つたもの」「新しいもの」を追ひ求めるスノブの群は別として、他の芸術の部門に於ける如く、「純粋なもの」への欲求が、何等かの形に於て示されて来るであらうと待ち構へてゐるのである。
 で、私は先づ、自分の仕事を始めるに当つて、一つの意見らしいものを公表した。これは、巴里に於けるヴィユウ・コロンビエ座の運動から暗示を得た「演劇の本質主義」とも名づくべきもので、ジャック・コポオの理論は第二として、その仕事から直接、ある意味を嗅ぎ出して、私流に解釈した独断に類するものであつた。この「本質主義」なるものの説明はここで繰り返す煩を避けるが、要するに「純粋演劇」への明らかな趨向を示したつもりであつて、その論旨の中枢は、かの「ドラマチック」なる語の再検討であり、従来の「ドラマツルギイ」への率直な質疑でもあつた。なほ、近代演劇運動の諸相と題する一文中、「近代主義と本質主義」なる項に於て、表面相反する如く見える二つの傾向、即ち、過去の否定と、古典尊重の精神とが、等しく現代の演劇革新運動の中に相対峙し、又は、相交錯する状態についても述べたのであるが、これらの諸相を通じて、私は常に、「純粋演劇」への探求が、その窮極に於て問題とされるであらうと信じてゐたのである。
 そこで、近代劇運動の理論的帰結が、「演劇の再演劇化」にありとして、あるものは、近代主義的舞台の建設に、あるものは、本質主義的演技の訓練に、それぞれ目覚ましい活動を続けつつあつた戦後欧羅巴の劇壇は、われわれに何を齎したかといへば、単に、その中途に於て明滅した個々の流派的宣言と、その運動自体の末梢的輪郭だけであつた。
 事実、欧洲の演劇が、その先駆的精神のみにもせよ、期せずして、「演劇の再演劇化」に一つの合言葉を発見したのは、あらゆる範囲、あらゆる程度の革新運動が、常に、「演劇的ならざるもの」を舞台上に横行せしめる結果となり、演劇それ自身の美は、何物かの背後にかくされて、いはば、主客顛倒の有様を現出したからであつて、殊に、わが国のやうに新劇の発生動機が、全く独特な事情と結びついてゐる場合、この危険は初めから目に見えてゐたのである。
 即ち、わが国の新劇は、云ふまでもなく、時代の文学的欲求から生れたものである。その指導者は勢ひ主として文学者乃至外国劇の紹介者、稀に、文学の重荷を負はされた職業俳優であつた。そして最後に、やや演出専門とも称すべき劇場芸術家の参加を見たが、舞台はその時代から濃厚な思想的色彩に塗り上げられた。
 かういふ次第であるから、演劇は絶えず、演劇本来の姿を見失つて、何者かの手段となるにすぎず、その生命は自然の成長を阻まれてゐたのである。勿論、この間に、欧羅巴流の新演劇論を鵜呑みにして、表面、「演劇より文学を排除せよ」と叫んだ人たちの名も浮ぶのであるが、さういふ人たちの一様に陥つた過失は、その「文学」に代るものを発見し得なかつたことだ。少くとも、それを舞台の上に示すために必要な努力を払はなかつたことだ。
 わが国の新劇は、今日まで、凡そ理論といふ理論を潜り抜けて来た。そして、遂に行きづまつた。罪は、世界的不況にあるのでもなく、「問屋の種切れ」にあるのでもない。要するに、演劇の本質に対し、あまりに無関心であり、あまりに、認識を欠いてゐたからだ。

       二

 私は、コポオの所謂、「演劇の本質は、古今の偉大なる劇的作品の中にこれを発見すべし」と云つた言葉の真意について考へたい。彼は現代欧洲劇壇の先覚者中、「文学」に最も近くその位置を占めてゐる人物であるが、彼の業績は、それにも拘はらず、「演劇の再演劇化」に向つて、最も大きな歩みを歩んだものと私は信じてゐる。
 これを、私の見解に照せば、彼は、演劇精神の伝統を現代に活かす以外、如何なる手段も、如何なる材料も、今日の舞台に生命を与へることができないことに気づいた一人であつて、衒学的軽業師の尊大な新理論よりも、各時代の要求に応じて生れ、それぞれの時代の舞台的革新に役立つた不朽の劇的作品を信じ、古典はそれ自身として現代に再生することはできなくても、そのなかに含まれてゐる要素、即ち、「戯曲でなくては現はせないもの」の実体を掴むことにより、「永遠に新しい美」といふものが、今日の時代に於て、如何なる姿を取るべきかを教へられるだらうと感じたのである。これは、誠に、平凡な真理に似て、先駆者コポオの主張としては物足りなく思ふ人もあらうが、その真意は、かの官学派的伝統主義と異り、これを正当に理解するためには、もう一歩進んだ註釈が必要なのである。この註釈は、しかし、飽くまで私の註釈であつて、恐らく蛇足であるかもしれないが、由来、戯曲が文学として取扱はれて来た結果、戯曲の批評は、専ら文学的観点からのみ行はれ、舞台的価値が云々される場合は、単に、「成功」「不成功」の二語によつて片づけられた傾きがある。ところが、戯曲が文学であることは差支ないとして、また、古来傑れた戯曲が、文学的にも様々な創造的特質を備へてゐたことは争へないとして、然らば、戯曲作家が、何故に、文学の他の様式を選ばずに、この様式を選んでその思想なり感情なりを盛らうとしたか、またこの戯曲なる様式の舞台化から、新たに何を求めようとしたか、さういふ点をはつきりさせた批評家は殆んどないと云つていい。コポオは、戯曲文学を対象として、この点を重大視したやうに思へる。言ひ換へれば、文学としての文学から、文学そのものの特質を引出す代りに、只管、舞台的生命たり得るものを引出さうとしたのである。彼は、しかしまだ、同時に文学の要素をも棄てきることはできなかつた。否寧ろ、戯曲の舞台的生命は、ある種の文学的生命を母胎とし、そこからのみ生れるものと信じてゐるらしい。「カラマゾフ兄弟」の脚色は、その間の消息を語るものと私は解してゐる。
 事実に於て、古今の偉大なる戯曲作家は一面、傑れたる文学者であつたといへるし、また、ある時代の流行劇作家が、この貧弱粗雑な文学的才能のために、その作品は悉く、次の時代に忘れられ、舞台的生命を失つた例も少くない。が、また、傑れた詩人、小説家、必ずしも名戯曲家たらず、さうかと思ふと、文学的には調子の低い主題を、戯曲としては生彩に富み、感激に満ちた作品として示し得る才能、つまりルナアルの所謂「卑俗にして偉大な」芸術家をもわれわれは識つてゐるのである。
 なるほど、コポオは、この最後のものには与しないやうであるが、それはそれで、一個の主義として受け容れればよく、私のここで云はうとすることは、彼れコポオが、取つてもつて舞台の生命としたもの、しようとするものは、決して、単なる戯曲文学の思想や形態ではなく、古今を貫く戯曲文学の精神であり、魂であり、その精神に導かれた共通の韻律美だといふことである。彼は好んで、劇作家といふ代りに「詩人」と呼ぶのであるが、これは旧い語例によつたにもせよ、彼の戯曲に求めるものを暗示してゐるわけだ。
 しかし、注意しなければならないことは、この文学の使徒の如く見えるコポオが、作品をマスタアする力量に於て、近代劇場人の何人よりも優つてゐると思はれることだ。ラシイヌの一齣を朗唱するに当つて、国立劇場の悲劇俳優が達し得ない理解を示し、その表現に於て、伝統的型を破りつつ、この天才詩人の微妙な感覚を浮き上らせるのである。更にまた彼の「フィガロ」は、十八世紀以来忘却されてゐたボオマルシェの創造を遺憾なく分析しそのいちいちのニュアンスに決定的な近代的着色を施した。民衆の英雄フィガロは、コポオの解釈によつて、はじめて、封建制下の床屋気質と、将に勃興せんとする自由主義の血脈を舞台にさらけ出した。彼は、舞台に立つて、さほど偉大さを感じさせる俳優ではないが、これは、俳優として肉体的資質に、どこか欠陥があるためであらう。しかし、如何なる戯曲中の如何なる人物についても、「かくあるべきである」といふ解釈には驚歎すべき発見と独創が含まれてをり、如何なる文体の如何なる白も、一と度び、彼の口を藉りれば、「かく言はるべきである」といふ、生きた人間の魅力ある言葉となるのである。
 このセンスは、彼の主張の根柢をなす強味であり、この才能は、彼の業績をある程度まで世人の脳裡に刻みつけた。しかし、彼は、単なる理論家であることにも甘んぜず、先駆者たる誇りにも安んじることができなかつた。彼は、仏蘭西の演劇を、成し得れば、悉く一手に引受けて、その面貌を一新させたかつたのだ。この欲望は、彼の口からは決して漏らされなかつたし、また、さういふ野心が遂げられるとも思つてゐなかつたらうが、彼の思想的一面に触れたものは、彼が、演劇を以て、直接民族精神の発揚、自国文明の浄化に資せんとしてゐたことは、察し得られるのである。
 これがつまり、私の云ふ、ヴィユウ・コロンビエ座の運動が、「演劇の純化」を標榜しながら、「純粋演劇」といふ問題の一歩手前で、先
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング