せた批評家は殆んどないと云つていい。コポオは、戯曲文学を対象として、この点を重大視したやうに思へる。言ひ換へれば、文学としての文学から、文学そのものの特質を引出す代りに、只管、舞台的生命たり得るものを引出さうとしたのである。彼は、しかしまだ、同時に文学の要素をも棄てきることはできなかつた。否寧ろ、戯曲の舞台的生命は、ある種の文学的生命を母胎とし、そこからのみ生れるものと信じてゐるらしい。「カラマゾフ兄弟」の脚色は、その間の消息を語るものと私は解してゐる。
事実に於て、古今の偉大なる戯曲作家は一面、傑れたる文学者であつたといへるし、また、ある時代の流行劇作家が、この貧弱粗雑な文学的才能のために、その作品は悉く、次の時代に忘れられ、舞台的生命を失つた例も少くない。が、また、傑れた詩人、小説家、必ずしも名戯曲家たらず、さうかと思ふと、文学的には調子の低い主題を、戯曲としては生彩に富み、感激に満ちた作品として示し得る才能、つまりルナアルの所謂「卑俗にして偉大な」芸術家をもわれわれは識つてゐるのである。
なるほど、コポオは、この最後のものには与しないやうであるが、それはそれで、一個の主義とし
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