ることを許されるなら、諸君が今まで手がけて来た古今の大戯曲が、見物を感動させ、面白がらせた原因はどこにあると思ふ。それが、大戯曲であつたためではないか。それならなにも、諸君の手を煩はすに及ばないことだ。それよりも、心を虚くして、その大戯曲の上演に遺憾の点がなかつたか、そして、そこから諸君は何を学んだか、何を掴んだかを省みてみ給へ。その学んだもの、掴んだものが、今日の仕事のうちで如何に生かされてゐるかを考へてみ給へ。私の見るところでは、例へばイプセンで成功したものは、次の出し物の何たるを問はず、再び、イプセンの殻を背負つた舞台を見せようとしてゐるだけだ。諸君は、過去のやや得意な舞台を、その舞台の幽霊を、「演劇とは縁も由緒もない一種の影」を、後生大事に引摺つてゐる。イプセンの「戯曲的なもの」「演劇的なもの」は、最初から、半分以上棄てて顧みなかつた諸君は、その自ら演じた舞台の記憶の中に、何を残してゐるか。イプセン張りの思想と、人物と、わざわざ生硬にされた理窟つぽい会話の調子と、諾威の灰色の空だけだ。これが、「演劇の本質」とどう関係がある。よろしい。偉大な戯曲といふものは、ざらにあるもんぢやな
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