に再生することはできなくても、そのなかに含まれてゐる要素、即ち、「戯曲でなくては現はせないもの」の実体を掴むことにより、「永遠に新しい美」といふものが、今日の時代に於て、如何なる姿を取るべきかを教へられるだらうと感じたのである。これは、誠に、平凡な真理に似て、先駆者コポオの主張としては物足りなく思ふ人もあらうが、その真意は、かの官学派的伝統主義と異り、これを正当に理解するためには、もう一歩進んだ註釈が必要なのである。この註釈は、しかし、飽くまで私の註釈であつて、恐らく蛇足であるかもしれないが、由来、戯曲が文学として取扱はれて来た結果、戯曲の批評は、専ら文学的観点からのみ行はれ、舞台的価値が云々される場合は、単に、「成功」「不成功」の二語によつて片づけられた傾きがある。ところが、戯曲が文学であることは差支ないとして、また、古来傑れた戯曲が、文学的にも様々な創造的特質を備へてゐたことは争へないとして、然らば、戯曲作家が、何故に、文学の他の様式を選ばずに、この様式を選んでその思想なり感情なりを盛らうとしたか、またこの戯曲なる様式の舞台化から、新たに何を求めようとしたか、さういふ点をはつきりさせた批評家は殆んどないと云つていい。コポオは、戯曲文学を対象として、この点を重大視したやうに思へる。言ひ換へれば、文学としての文学から、文学そのものの特質を引出す代りに、只管、舞台的生命たり得るものを引出さうとしたのである。彼は、しかしまだ、同時に文学の要素をも棄てきることはできなかつた。否寧ろ、戯曲の舞台的生命は、ある種の文学的生命を母胎とし、そこからのみ生れるものと信じてゐるらしい。「カラマゾフ兄弟」の脚色は、その間の消息を語るものと私は解してゐる。
 事実に於て、古今の偉大なる戯曲作家は一面、傑れたる文学者であつたといへるし、また、ある時代の流行劇作家が、この貧弱粗雑な文学的才能のために、その作品は悉く、次の時代に忘れられ、舞台的生命を失つた例も少くない。が、また、傑れた詩人、小説家、必ずしも名戯曲家たらず、さうかと思ふと、文学的には調子の低い主題を、戯曲としては生彩に富み、感激に満ちた作品として示し得る才能、つまりルナアルの所謂「卑俗にして偉大な」芸術家をもわれわれは識つてゐるのである。
 なるほど、コポオは、この最後のものには与しないやうであるが、それはそれで、一個の主義とし
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