殊に意外だつたのは、その日私を迎へた週番大尉が、以前私の中隊にゐた一軍曹のMであつたことで、それがまた現に米良の大隊の中隊長なのである。
 私事に亙るやうであるが、私は、自分の経験した軍隊生活なるものと、今度の文学者としての従軍とを、まつたく切り離して考へる事はできないので、この日の連隊訪問はある意味で戦跡視察の延長のやうなものである。
 久々で旧友米良に会つた感想は、しかし、こゝでは述べる必要はあるまい。但し、彼が予備少佐として、戸畑高等専門学校の剣道師範として、そして今また、元の連隊の大隊長として昔ながらの風格と生活ぶりをみせてゐることは実に面白い。私は、かねて啓蒙的な「軍人論」なるものを誰かゞ書かねばならぬと思つてゐる。日本の一般社会は、日本の軍人、つまり、本職の将校が如何に「育てられ」つゝあるかといふことをあまりにも知らなさすぎるのである。
 東京へ帰つてみると、街の印象がなにひとつ変つてゐないので安心した。みなわりに朗らかで落ちついてゐる。こんなことではいかんと云ふやうな現象は、表面的にはなにも目にとまらない。戦場に行けば戦場にゐる気分、内地にゐれば内地にゐる気分と云ふのが、最も自然であり、健康であり、そして頼もしい態度なのだと思ふ。油断とか弛緩とかを心配する人もあるやうだが、それはまた話が別なのである。
 私は、あるがまゝの日本に、希望と信頼とをもつ。漕ぎ手は揃ひ、船あしは早いのである。舵を誤らざらんことを祈るばかりである。



底本:「岸田國士全集24」岩波書店
   1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「従軍五十日」創元社
   1939(昭和14)年5月8日発行
初出:「文芸春秋 第十六巻第二十一号」
   1938(昭和13)年12月1日発行
   「文芸春秋 第十七巻第一号」
   1939(昭和14)年1月1日発行
   「文芸春秋 第十七巻第三号」
   1939(昭和14)年2月1日発行
   「文芸春秋 第十七巻第五号」
   1939(昭和14)年3月1日発行
   「文芸春秋 第十七巻第七号」
   1939(昭和14)年4月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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