前を彼等にも与へようといふのだ。彼等は前者を選んだのだ」
私はこれに対して私の意見を述べる必要はなかつた。たゞ、「貴下は日本といふ国をご存じか」と問ふたら、彼は、「遂に行く機会がなかつた」と答へた。
学生はどういふ風にして募集するかといふ質問に、傍らの一職員が、全国的に募集して厳密な資格試験をする。一旦入学を許可したものでも成績次第では淘汰するやうにしてゐるから、現在は優秀な学生ばかりだと、自讃した。誰でも宣教師になるといふわけには行かぬから、と、また一人が附け加へた。
私は、これらの支那学生の眼に、日本といふものがどう映つてゐるかを知りたかつた。しかし、今は話をしても無駄であらう。たゞ、宣伝の道は何処にでも通じてゐるなといふ感じを抱いて、この天主堂の静かな門を出た。
次は孤児院である。これも路を距てゝすぐ側の建物がさうであつた。固く鎖された門を叩くと、支那人の門番が、扉をそつと引開けた。案内のモレル氏が来意を告げると、一人の尼さんが出て来てわれわれを迎へ入れた。これは、小柄な婆さんで、なかなかしつかり者といふ印象を与へた。乳児の哺育からはじめて、普通学科の教育、十四歳に達すると手編レースの製作を手職として授ける段取りを説明する。目下、百六十人の孤児が収容されてをり、女の子ばかりなので年頃になるとそれぞれ結婚したり、仕事に出たりするが、さういふ連中が時々遊びに来るからそれが楽しみだといふ話などする。なかには、一生こゝの手伝ひをしたいと志願するものもある。既にこのひともその一人だと云つて、同じ尼さんの服装をした支那婦人を指さす。この婦人はレース工場の係りと見えて、多勢の少女たちにいろんな指図をし、私たちに仕事の細かい手順を見せて歩き、製作品の見本を取出して来る。この品物は買ふことができるかと訊ねると、いくらでも売るといふ。事変がはじまつてお客がぱつたり来なくなり、その上、これまで製品は大部分上海の本部へ送つてゐたのが、その便が途絶えて困つてゐると訴へた。九江へ碇泊する欧米の軍艦があると、艦長はじめ乗組の将校が大てい奥さんや子供たちの土産に買つて行つてくれるのだと、そばからフランス人の尼さんがおどけた顔をして口を挟む。それではわれわれもさうしようと云つてハンケチを数枚選んだ。なかなか贅沢品とみえて、一枚三円から七円ぐらゐする。それで儲けはないくらゐですと、支那の
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