、それから蘇州、南京と、軍報道部の馬淵中佐が案内をされ、南京から九江、更に、そこを中心として星子、武穴、馬頭鎮等の前線に近い方面の誘導に、同じ報道部の松岡中尉が当たられた。
この間、宿泊、交通、見学のプログラム、すべて向ふ委せで、われわれは殆んど客分の待遇を受け、重要な個所を見落さなかつた代り、個人的な印象を細かにノートする暇もなく、云はゞ、中支戦場の一般概念の注入に頭を費した期間であつた。
漢口攻略戦のクライマックスとも云ふべき時機であつたから、第一線部隊に従つて、壮烈な対敵行動の場面を親しく見たい欲望は、すべての同僚の気持を急きたてゝゐたことは事実である。既に、そのつもりで、早くから単独先行したものもあるくらゐであつた。
私も亦、毎日地図を案じ、各地区に於ける戦況を綜合して、どの部隊につけば、比較的都合よく自分の望むやうな程度に、観戦の目的が達せられるかを考へつゞけた。
が、一方、九江に於ける各種の調査と、日増しに複雑化して行く街頭の現象とは、私をして今次の事変の特質と中心とが、何処にあるかといふ問題に決定的な判断を下さしめた。この判断は誠に平凡である。しかし、実感として私はこの判断に誤りがないことを信じ、短時日の旅行に総てを観ることができなければ、せめてこれだけは腰をおちつけてと思つたのは、所謂、そここゝに散在する占領地域の、小部隊を以てする警備と討伐と宣撫工作の実情である。日本軍の如何なる労苦が支那民衆に希望を与へ、その希望が如何なる相《すがた》でわれわれの理想とするところに近づきつゝあるか、といふ例証を是非一国民として心に銘しておきたかつた。
そこで、すぐに頭に浮んだのは、例の彭沢といふ揚子江に沿つた小さな町である。船の上から眺めたところによると、戸数万戸に満たないくらゐの、三方山に囲まれた、美しい城廓のある水郷で、駐屯部隊のあることだけは、軒端につないだ馬や、山の中腹に掲げられた日の丸の旗で、ほゞ見当がついてゐた。いや、そればかりではない。船長の話によると、あの周囲の山の向ふに相当兵力をもつた敵がゐて、数週間前にも、守備隊がその逆襲を受けて悪戦苦闘したといふことである。この孤立無援にひとしい小部隊の、地味で苛烈な任務に私はかねがね心惹かれてゐたのである。が、どうも考へてみると、この町には九江や湖口とおなじく、住民がまだ多く還つて来てゐないらしい
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