であるのみならず、支那の民族と歴史、その生活力と文化の象徴であるといふことに気がつくのである。
 河幅は広いところと狭いところとあるが、九江までは、概して両岸の展望が利き、楊柳の木蔭に水牛の群れ遊ぶ様や、人家の周囲に銃眼を穿つた陣地が築かれてゐるのが見える程度である。しかし、その河幅いつぱいに、粘土色の水がひたひたとあふれ、流れと見えぬ深さで大地を逼ひ、澎湃として空を空につなぐこの超年代的なすがたを、日本のすべての人は想像もし得ないであらう。
 その日の夕方、蕪湖に碇泊、上陸して市街を一巡する。先づ眼についたのは、あちこちの小高い丘の上に建てられた瀟洒な西洋館で、何れも屋上にフランスやアメリカの国旗が翻つてゐる。病院と学校である。
 九江では煙草が払底だと聞いて、こゝで、ルビイクインの幾箱かを買溜めする。
 夜、船の食堂で、漢口よりの日本語放送を聴く。やゝ中国訛りのある若い女の声で、はつきり支那側の宣伝ニュースを読みあげるのだが、ニュースの内容よりも、放送者の心理の方に興味が惹かれ、人間の生き方について、あり得べきあらゆる場合を考へさせられた。
 翌朝、蕪湖をたつ。
 午後一時五十分、前方の○○艦より信号がある。「本艦と共に全速力を以て航行せよ」
 甲板へ出てみると、本船の備砲も既に射撃準備を整へてゐる。やがて、○○艦から対岸に向つて盛んな砲撃が開始され、敵陣地と覚しい高地の麓からも、時々火を吐くのが見える。そのうちに、船の近くへ水柱があがりだした。来るなと思つてゐると、船橋をすれすれに迫撃砲弾が掠めた。二発、三発、どす黒い煙が飛沫と共に散つた。船載砲の砲手たちは、襦袢裸で、「こん畜生!」と叫びながら、撃つ、撃つ。と、私のそばにゐた船長が、「あツ、あたつたツ」と、一瞬、顔色を変へた。さう云へば、今、船腹に激しいシヨックを感じたやうである。船員が飛んで来た。
「機関に当つたやうです」――それは間違ひであつた。
 敵陣地に一条の煙が立ち昇つてゐる。何かゞ焼けてゐるのである。
 二時三十分、敵味方とも砲撃中止、危険区域を脱したとみえる。船体にも、乗組員にも異状なし。甲板に砲弾の破片が落ちてゐたり、船腹に黒く焼け焦げのやうな跡がついてゐたりした。
 太子磯に碇泊、一夜を明かす。
 今日は銅陵附近でまた敵の砲撃に遭ふかも知れぬといふ。しかし、なんのこともなかつた。安慶を過ぎて
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