表的な小学校を見せてもらふ。
寺子屋と呼ぶにふさはしい構への旧式な建物のなかで、「読方」を習ふ児童たちの声が聞える。教室をのぞくと、年のころ三十と思はれる女教師が、粗末な謄写版ずりの紙片を教科書代りにして、熱心に授業をしてゐる。非常に物馴れた調子である。児童達を一人々々前へ呼び出して、数行の漢字を読みあげさせる。彼等は、少しも臆せず、その滑らかな発音に自ら酔うてゐるやうにみえる。
読み終ると、先生の方をちらと見あげる。みな潤ひのある美しい眼をしてゐる。女の子は殊に、悧巧さうな、引き締つた顔だちである。授業がすむと、先生はわれわれの方に進み寄つて慇懃に会釈をする。
話をしてみたいがどうにも方法がないから諦める。かうして南京に踏み止まつてゐる教師の一人々々に、われわれは心から言ひたいこと、訊きたいことがたくさんある。「長期建設」はそのへんから始めねばならぬといふことを当局は気づいてゐるであらうか?
光華門、中華門、雨花台等の戦跡を訪れて大西少佐の講話を聴く。風雨に曝された白骨を拾ひあげたものがある。
夜は、燈火管制が実施されてゐるため、街へ出ることも出来ぬ。
真夜中にふと眼がさめる。上海以来、すでに様々なものを見た、そのひとつびとつの生々しさと共に、それが前後もなく互に重り合ひ、結びついてできあがつた「今日の戦争」といふ新しい映像が、頭のなかを一瞬去来する。耳が冴えてゐる。そして、その耳にまづ伝はつて来る闇の中の物音は、単調ではあるが、相当に激しい雨の音である。明日は雨かと思ひながら、からだを起して窓に近づいた。遮光用の黒いカーテンを引いて外を見た。すると、僅かに消し残した街の灯の下を、蜒蜿長蛇の如く、車輌縦隊の一列が通過しつゝあるのである。たつた今、雨の音だとばかり思つたのは、この幾百幾千の馬の蹄が、涸いたアスファルトを踏む規則的な響であつた。人は語らず、車は軋まず、馬もまた黙々と頭を垂れて、いづこに向つてか往くのである。
漢口へ! と、私も、急き立てられる思ひがした。
一行は、こゝで、廬州に向ふものと、九江を目指すものとに別れた。
私は、ともかく九江まで行くことにした。
船で揚子江を遡ることも経験のひとつである。
遡江船
御用船××丸の甲板に立つて、はじめて揚子江といふものゝ存在が如何に象徴的であるかを知つた。
それは大陸の象徴
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