人は恩恵といふものを感じない。何をしてやつても、受けた利益だけは有難く思ふが、それを与へた人間に心から謝するといふ気持がない。これだけの恩を施してあるからと日本人は秘かにその報酬を期待するが、それがとんだ間違ひの因である。こゝで支那人はうつかりすると忘恩の徒とみなされる。豈計らんや、彼等は決して忘恩の徒ではないと或る人は弁護する。たゞ、日本人のやうに、相手の顔さへみれば礼を云ひ、事毎に恩を着てゐる風を見せぬだけである。その代り、いつかは必ず、その恩義に応へる道を心得てゐる。彼等は、それを黙つて、それとなくやるのである。恩返しなどと吹聴は決してせぬ。かう聞いてみると、なかなかもつて話せるといふ気がするではないか。
 ところが、これも、日本人はそんなことを知つてゐるだけでは、どうにもならぬほど性急なのである。殊に、恩を施すことに少しばかり無神経すぎるのが現代日本人であつて、相手の迷惑をさへ顧みず、恩の押売りをやりかねない風習は、われわれお互に段々気のついてゐることである。報酬などあてにせぬと大きく出てみても、それは、大きくみせたいからであつて、横目で相手の感謝ぶりを計算してゐることに変りはない。総てが総てとは云はぬが、これが末流日本人の素朴な姿なのである。
 日本人は支那人に対してばかりではない、何処人に対しても、要するに、単純すぎるのである。単純であることは、一面、得がたい美点でもあるが、それは相手との関係次第で、世の中が複雑になつて来ると、その手では押して行けない部分ができるのである。(「大陸」昭和十四年八月)



底本:「岸田國士全集24」岩波書店
   1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「現代風俗」弘文堂書房
   1940(昭和15)年7月25日発行
初出:「大陸 第二巻第八号」
   1939(昭和14)年8月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
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