産んだのである。時代を異にし所を異にするも現在日本に学びつゝある健気な青年学生諸君の胸中には、曾ての日本人留学生と共通の愛国的な若々しい情熱が沸つて居ることであらう。
 我国際学友会並に国際学友会館を通じて、清新溌剌の気に充てる各国の秀才が、貴重なるその青春を捧げつゝ我文化の真髄を把握し、実相を認識し以て祖国の希求に応へんと努力しつゝあるのである。而してわが会並に会館の存在理由は、実にこゝにあるのである。余は衷心より留学生諸君の目的達成を祈ると共に、会並に会館当事者の撓まざる献身と努力を希望し、併せて、我官民一般も達観せる国民的協力を示されて、留学生諸君の成業に寄与せられんことを希望する次第である。
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 さういふわけで、私は、同会から夏期講座に出講の交渉があつた時、実はいろいろ考へた揚句、外国の若い学生たちと膝を交へて話ができるのを楽しみに、これを引受けたのである。それも僕流の無精から、夏休みの終りに近い頃、山から東京へ帰つて来た序にといふ条件を附しておいた。

 私は勿論日本語で喋るので、それを国友忠夫氏といふ布哇大学の先生で、やはり学友会に籍をおき、目下日本演劇史の研究をしてゐるひとが通訳してくれるのである。前の晩に少しばかり宿で打合せをしただけであるが、当日、同氏は実に流暢な英語で、しかも専門的な言葉には詳しい註釈をつけて見事な通訳ぶりをみせたのには、私も感服した。
 私は、日本古来の演劇伝統についてひと通り話し、能、狂言、歌舞伎の特質を素人向きになるべく解り易く説明しておいて、さて、日本の古典劇のみを通じて現代の日本を知ることの困難を指摘し、日本人自らも、新時代の生活表現を新たな演劇形式のなかに見出さうとしてゐる努力の一部を紹介し、新協、新築地、文学座等の存在を記憶してゐてもらいたいといふ風に、我が田に水を引いておいた。
 三時間に亘る講演中、言葉のわからぬためか、内容に興味を感じないせいか、二三欠伸をしたり、居眠りをしたりしてゐるものもあつた。が、大体に、熱心に眼がこつちへ向けられてゐるやうであつた。
 食事の時刻になつた。館長の渡辺氏や、外務省嘱託の稲葉子爵や、通訳の国友氏や職員で仏文出の鈴木氏やと一緒に、学生と同じ献立の家庭料理を御馳走になつた。南育ちの人々が多いからといふので、特にカレー汁が食卓に用意されてゐた。
 夜は有志
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