るかと呟きたい。そして、相手が黙つてゐれば、新劇勃興以来、今日ぐらゐ「有望な」新進が輩出した時代が嘗てあるかと問ひ返すつもりである。諸君はただ、それを知らずにゐるか、或は、故らに眼を閉ぢてゐるのではないか? 更に極言すれば、諸君が北の空に出づべしと予期してゐた星は、悠然と、南の空に輝き出したのだ。そして、諸君のあるものは、それを見て、「あれは星に非ず」と負け惜みを云ふかもしれぬ。諸君の天文学は、それほどのものであらうかと云ひたくなる。
 空はたしかに薄曇りである。しかし、今宵星を探す人は、眼を左右に転じ給へ。
 言ひ換へれば、新しきドラマツルギイを理解し給へ。
 さて、それなら、私の云ふ新しいドラマツルギイとは何か? ほんとは、別に新しいものでもなんでもなく、私が十年前から千遍一律の如く説いてゐる演劇本質論で、いはば、近代劇の遺産とも称すべき、わが国の新劇が、拠つて以てその基礎を築くべき純粋戯曲の精神とその発見である。
 今日は、戯曲らしい戯曲が、わが国にもやつと出かかつた時代だといへば、多くの人は奇異な感じを抱くであらうが、それがつまり、従来の新劇が概して芸術的でもなく、面白くもなか
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