変らない以上、新しい問題の起りやうがないのである。
芸術的で且面白い芝居――これは私が十年前に別な言葉で云つたことである。
新メロドラマの提唱は、たしかに反動的で面白いが、メロドラマに新旧があらうとは思はれぬ。メロドラマは、芝居そのものの如く旧く、また、衣裳の流行に似て新しいのである。言ひ換へれば、メロドラマは常に存在し、常に演劇の堕落を助けてゐる。
大劇場主義に基く「スペクタクル」的要素の尊重は、現代の日本新劇、乃至は、その影響下にありと思はれる商業劇場の所謂「新作」に対する不満から生じたものであらうが、演劇に於ける「スペクタクル」的要素の行詰りは、西洋の演劇史が屡々繰り返してゐることであり、また、近代に於て、レヴュウ劇場がその要求を満たしてゐると思はれる。もつと芸術的なもつと洗煉されたものをとの註文なら、それは、舞踊劇の発達に俟つべきで、物語の発展を骨子とする演劇のスペクタクル化は、近代文学の洗礼を受けた演劇の知的要素を無視するものである。
面白い芝居とは?
優れた戯曲出でよの掛声には、私は黙つて耳を塞ぐ。そして、小声で、今の日本でほかに何か傑れたものが出てゐるかと呟きたい。そして、相手が黙つてゐれば、新劇勃興以来、今日ぐらゐ「有望な」新進が輩出した時代が嘗てあるかと問ひ返すつもりである。諸君はただ、それを知らずにゐるか、或は、故らに眼を閉ぢてゐるのではないか? 更に極言すれば、諸君が北の空に出づべしと予期してゐた星は、悠然と、南の空に輝き出したのだ。そして、諸君のあるものは、それを見て、「あれは星に非ず」と負け惜みを云ふかもしれぬ。諸君の天文学は、それほどのものであらうかと云ひたくなる。
空はたしかに薄曇りである。しかし、今宵星を探す人は、眼を左右に転じ給へ。
言ひ換へれば、新しきドラマツルギイを理解し給へ。
さて、それなら、私の云ふ新しいドラマツルギイとは何か? ほんとは、別に新しいものでもなんでもなく、私が十年前から千遍一律の如く説いてゐる演劇本質論で、いはば、近代劇の遺産とも称すべき、わが国の新劇が、拠つて以てその基礎を築くべき純粋戯曲の精神とその発見である。
今日は、戯曲らしい戯曲が、わが国にもやつと出かかつた時代だといへば、多くの人は奇異な感じを抱くであらうが、それがつまり、従来の新劇が概して芸術的でもなく、面白くもなか
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