一度といふ演劇的開花期であつた。今から考へると、恐らく欧羅巴に於ける最後のそれではなかつたかと思はれる。その頃巴里にゐたわれわれは、演劇のあらゆるジヤンル、あらゆる時代、あらゆる民族的創造のコンクールを極めて短時日に閲覧し得る幸福に恵まれた。
モスコー芸術座のレアリズムからアール・エ・アクシヨンの主観主義を通じて、近代の舞台が進まうとする方向と求めつゝある精神を検討し得た。「一切の新しさは、そのものゝ変化する部分である」ことが明瞭になつた。
「新しさ」はまことに、当時の僕にあつては眩惑的な魅力であつた。しかし、日本の演劇に何かを附け加へる必要があるとすれば、それは寧ろ、欧洲の演劇史を通じて、その「変る部分」よりも「変らない部分」なのだといふ見当がつきはじめた。
それはなにか?
僕は、ヴイユウ・コロンビエ座の仕事と精神のなかに、最もその顕著なるものを見た。何が「演劇を作るか」といふ根本的な問題がそこに横はつてゐた。日本には、「新しい演劇」がないばかりでなく、「演劇の正統的なもの」が見失はれようとしてゐたのである。
僕は、日本から新作家の戯曲を取寄せて読みくらべてみようと思つた。私は誰の名もはつきり知らなかつた。一マルクス学徒たるN君が、選択して送つてくれたのが、長田秀雄、吉井勇、武者小路実篤、久保田万太郎の諸家であつた。
自分が戯曲家にならうなぞとは夢にも思つてゐなかつたから、これらの作品に、それぞれ辛い点をつけた。が、不思議なことに、一見、甚だ日本的と思はれる久保田万太郎氏を、僕は、そのなかで最も西洋演劇の伝統につながる作家とみなし、その意味を深く考へた。
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その頃、露西亜人ピトエフ夫妻が、超民族的一座を結成して巴里で旗挙げをした。上演目録の多様性に興味を惹かれ、首脳者ピトエフの演出者としての独自なシステムに学ぶところがあると思ひ、僕は、一日彼の楽屋に刺を通じた。彼の芸術的放浪は、当時の私を感傷的に共鳴させたが、それよりも第一に、孤立無援の演劇運動が、如何に犠牲多き事業であるかを知らしめた。ピトエフの名は次第に聞えて来た。座員は悉く饑えてゐた。「どん底」のルカに扮した一俳優は、マチネの終演後、僕の勧誘に応じてさゝやかなランチを共にしたのだが、彼はミユーズの嫣笑に身を持ちくづした男と自称し、ピトエフを恨みつゝ去り難き理由を説明した。
さう云へば、ヴイユウ・コロンビエの有力な俳優も、その動機はなんであれ、一人づゝ離れて行く気配が感じられた。劇団が「食へる」まで、個人は付てないのである。僕は、いろいろの事情を綜合して、これを俳優の「巣立ち」と呼んだ。事実、成長した才能は、これを迎へる手が八方にひろげられてゐるのである。
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この間に、僕は、所謂「商業劇場《テアトル・ド・ブウルバール》」と「前衛劇場《アヴアンギヤルド》」との関係を調査した。そして、更に、国立劇場と俳優学校の意義と使命について、あらゆる否定的な論議を透しつゝ、これを肯定的に批判する立場を発見した。
演劇の芸術的発展と、文化的基礎の二元的考察がそこから生れるのである。
戯曲家が優れた作品を生む経路もほゞ理解され、時代の要求に応ずる俳優が、如何にして現はれるかの順序も、一切の例外を含めて截然と僕の頭のなかに描き出された。
アントワアヌとスタニスラフスキイとコポオと、この三人を同時にシヤンゼリゼエの舞台の上に見た記憶は、僕の演劇理論を組み立てる象徴的な夢なのである。われわれは、その何れをも真似る必要はない。たゞ、彼等が、何ものであり、如何なる時代に生き、何ごとをなし得たかを知ればいゝのである。
僕は、仏蘭西で食へなくなつたら、日本へ帰るつもりでゐた。食へなくなる怖れがだんだん増して来た。日本へ帰つたら、ひとつ、帝劇舞台監督の助手にでも傭つてもらはうと考へてゐた。そして、その傍、独特な仏蘭西演劇史の稿を起すつもりでゐた。舞台監督助手が駄目だつたら、翻訳の仕事でも探さう。尤も、僕が訳したいと思ふものは、みんなもう訳されてゐるだらうとも考へ、内心不安であつた。
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ある日、ピトエフと楽屋で話をしてゐた。なにか日本のものをやりたいが、どんなものがあるだらうといふ。僕は即答ができかねた。第一に、なんにも知らなかつた。第二に、手許にある僅かな脚本は、やらせたくないものか、やらせても駄目なものばかりのやうに考へられた。僕は、黙つて別れたが、ひとつ、づるいことをやつてやらうと思ひつき、早速、生れてはじめてと云つていゝ現代劇の創作にとりかゝつた。一週間後に、知合ひの仏蘭西人の協力を仰いでそいつの仏訳をまとめ上げた。題して、「|黄色い微笑《アン・スウリイル・ジヨオヌ》」!
ピトエフに見せると、「こいつは面白
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