る。多少の無理を忍んでも上演して貰ひたいといふ欲望は、これはまた別である。文学者としての矜恃の問題は、もはや、個人的な領域であり一般論とはならない。要するに、作者と俳優との、仕事の上での見事な協力が行はれてゐること、俳優は作者を傷けることなしに、自分の主張を貫徹し、作品の価値を「相互の為めに」高める能力をもつてゐるといふことは、これは僕の一大発見である。日本の座附作者の例もあるから、形の上だけでは珍しいことではないが、真の芸術家として、文学と演劇との密接な融合をはかる実際的方法はこれ以外にはないのである。
僕はフランスの演劇史並に主なる戯曲作家の評論をあさるうちに、傑作の蔭には必ず当代の名優があり、劇場の華やかな文化があつたことを見落さなかつた。勿論、天才的作家の出現がその周囲にひとつの新しい運動を捲き起すといふ事実も認めるには認めるが、その天才なるものが、やはり、伝統によつて耕された土壌、徐々に新機運を齎す雰囲気のなかにのみ育てられるものであることをも否認できないのである。従つて、僕は、所謂「先駆者」とその業績についても、時代の背景を否定的面でのみ判断することの危険を、しみじみ感じたのである。
例へば、「既成劇壇が堕落しきつてゐたから其々の革新運動がこれこの旗幟をかゝげてかういふ大胆な試みをした」といふやうな記録だけで、その運動の正体はつかめないのである。
早い話が、大戦後のあらゆる「新劇運動」を通じて、私が最も興味を惹かれたヴイユウ・コロンビエ座にしても、なるほど、ジヤツク・コポオはある意味で、「先駆的」には違ひないが、その反面には、「伝統」への忠実な奉仕者であり、「伝統」とは、全体的の進化といふものを認めた上での「変る部分」でなくて「変らない部分」なのである。さういふものが、最も進歩的な立場でさへ、はつきり重要なものだと断言できるフランスといふ国を、僕は実に羨ましいと思つた。
僕は勢ひ日本の古典劇といふものに想ひを馳せざるを得なくなつた。
結論を急げば、たとへ歌舞伎や能にどんな「演劇的伝統」があるにせよ、今、われわれの仕事は、これまで「日本にないもの」を一旦そのまゝの形で採り入れ、更に、これを「日本人的に」処理することである。その時、或は、「日本古典劇」の美学が、現代の精神のなかに蘇るかもわからない。それはそれでいゝ。たゞわれわれは、如何なる意味でも、もはや「歌舞伎的」表現に魅力を感ぜず、魅力を感じたとしても、それは自分の「旧さ」のせいであり、「あまりに日本人的」なせいであり、世界共通の文化を建設するための未来の劇場は、東洋の一孤島に於て特殊な発達を遂げ、近代的な頭脳や心臓と没交渉な、個々の創造がまつたく無力化したかゝる演劇形式からは何ものも受けつぐ必要はない、といふのが僕の最後の肚であつた。
三
千九百二十三年の七月、僕は、いはゆる業半ばにして巴里を去らなければならなかつた。観のこした芝居もまだあつたし、買ひ集めたい本もいくらかあつたが、日本で長男に生れると、かういふ場合に自由が利かないのである。
足が十五年ぶりに踏んだ故国の土は、僕にとつてなんであらう?
先づ食ふことを考へなければならない。
見渡すところ、芝居の世界で僕の働けさうな場所は何処にもないのである。
僕は、時節を待つ気持で、ぼつぼつ翻訳の仕事にとりかゝつた。先づ、ルナアルの戯曲を手はじめにやつてみようと思つた。
戯曲の翻訳と云へば、外国に行く前、太宰施門氏とエルヴイユウのものを共訳したことがあるきりである。これは、井汲清治君と僕とで太宰氏に仏蘭西語の個人教授を受けた時分、テキストとして使つた「ラ・クールス・デユ・フランボオ」を僕がすぐに台詞調[#「台詞調」に傍点]に訳し直し、「帝国文学」といふ雑誌に出したものであるが、後に、「炬火おくり」といふ題で全く新しく改訳した。
この翻訳の話も詳しく書くと面白いが、あまり余談に亘るからやめる。とにかく、新旧両訳を物好きな人があつたら比べてみてほしい。自分の恥を吹聴するやうなものだが、語学力の進歩といふやうなこと以外、フランスの芝居を観てからと、観ない前とで、同じものがかうも「違つて」感じられるかと思ふほどである。更めて断るまでもなく、最初の訳が二十五点とすれば、後の訳はまあ五十点から六十点の間であらうか? もう少し時間をかけ、その上原作に興味をもちつゞけてゐたら、八十点ぐらゐまでは僕でも行けるのではないかと思ふ。
そこで、ルナアルの戯曲であるが、これは是非とも、勉強のつもりで、できるだけ丁寧に訳してやらうと思ひたち、先づ、「日々の麺麭」を訳した。毎日二三枚づゝ、気長にやつてゐると実に楽しい。
が、実は、そんなことばかりしてゐられる身分ではないのだから、もう少し金になる仕
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