が既に計画されてゐます。政界革新の機関に利用されようとする舞台と、瀕死の吐息をつきつゝある、古典的歌舞伎の保存に供せられようとする劇場との間に介在して、吾々の劇場は抑も何をするのでせう。それはこゝには申しません。唯見てゐて下さい。見てゐて下さい。
築地小劇場に於ける私は今までの私とは全く別なものでなければなりません。
私はもう単なる舞台の芸術家ではありません。私は一つの全人格としてこの劇場の中で働きたいと思つてゐます。私は生れて初めて何者にも拘束されない自由な国を此の小劇場の舞台の上に見出ださうとしてゐるのです。
今この部屋の上でゲエリングの「海戦」の稽古が始まつてゐます。恐ろしい速度で弾丸のやうに詞が飛んでゐます。大砲の響が時々家を動かします。神を祈る者があります。服従を否定する者があります。異常な情慾に燃える者があります。気狂ひにならうとしてゐる者があります。それは戦争です。しかもその戦争の行きつく処は何でせう……吾々は今戦争に直面してゐます。そして吾々の目的は何でせう。弾丸が飛んでゐます。火焔が上がります。砲弾は吾々を震撼してゐます。吾々は何処へ行くのでせう。誰れも知りません。未だ誰れも知りません。併し知つてゐるものがあります。少くとも知つてゐるものが一人はあります。……」
ところで、それと前後して、小山内氏は、たしか慶応の講堂で行はれた講演会に於て、一つの重要な宣言を発表した。
今、その正確な記録がないので、言葉どほりを伝へることはできぬが、当時の文献によると、氏は、築地小劇場の抱負を語るに当つて、現代日本の創作劇中には自分らの演出慾を唆るものがないから、向ふ二年間は外国劇の翻訳のみを上演すると「豪語した」さうである。
実のところ、僕などはその噂を伝へ聞いて、別に「豪語」といふやうな印象はうけなかつたが、一般戯曲創作界はたしかにある種のシヨツクを受けたに違ひない。演劇新潮同人の間に喧々囂々の論議が持ちあがつた。
しかし、これだけの問題だとすると、小山内氏や土方氏の意図を善意に汲むこともできるのである。現に、僕などは、帰朝早々、西洋劇の本質的な研究によつて日本の新劇界は地ならしをしなほすべきであるといふ主張をもつてゐたから、なまじつかな創作劇をやられるよりも、西洋劇の優れた上演を見せてもらひたく、また、自分自身もその方面で若干の野心を抱いて
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