めてはまづいであらうにと思ひ、次に、これでもし、僕がせめて口でも動かしてゐなかつたとしたら、自分の書いた文章をかうして読まれてゐるそばで、ぢつと待つてゐるのはさぞ照れ臭いことであらうと思ひ、二重の意味で、山本氏の配慮の周到なことに気がついたのである。
 第一場、第二場と進んだころ、
「うむ……」
と、山本氏の唸る声がした。退屈したとも取れ、感心したとも取れる、甚だ微妙な唸り声である。
 第三場が終つた時、ちよつと休憩である。思ひ出してもぞつとする瞬間だ。山本氏の箸は、急に活気を呈し、眼鏡の奥で、眼が言葉を探してゐる。そして、僕の耳に、やがてこんな意味の言葉が、夢のやうに伝はつて来た。
「近頃読んだ脚本のなかで、これくらゐ面白いものはない」
 僕は率直に、この甘い批評をこゝに書きつける。公けにすべき性質のものでないことは知つてゐるが、僕の作家生活の希望あるスタートは、この激励に負うてゐるからである。
 帰りの夜道は、心の明るい灯によつて照らされてゐるやうであつた。
 とは云へ、その興奮がさめた後の、あの名状しがたい不安をこゝで書き漏してはならぬ。それはなにか? 果して第二作が書けるかといふことである。あとにもだ、なにかが残つてゐるかどうかといふことである。
 この不安は、恐らく、僕のやうに、「偶然になつた作家」の場合に限られるものではないかと思ふ。最初の作品が生れたものでなく、作りだしたものである、といふ弱味から来るのであるかも知れない。或は、単に、褒められすぎた駈けだしの不心得な自尊心か。
 改造へでも推薦しようといふ山本氏の好意に、なほすがる外はなかつた。
 期待のうちに日が過ぎた。
 しかも、それから十日もたゝぬうちに、あの大震災である。

       五

 日本の演劇界がこの大震災を境界としてどういふ風に変つたか? 少くともこの種の歴史的事件によつて、物質的、精神的に、あらゆるものが相当大きな影響を受けたであらうが、芝居の方面はどうであるか? 今になつてそれは調べればわからないことはないが、当時の僕には、それほどはつきりした姿で映つては来なかつた。
 例へば東京のあらゆる劇場が灰燼に帰したといふ新聞の報道も、あゝ劇場もかと思ふだけで、それが自分の仕事、生活の領域で、直接なんとかせねばならぬ問題として響いては来ない。これが若し、震災前に何等かの形でその道に足
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