リンもさることながら、ピレネエ山麓のポオに、あのぽかぽかする三月と四月とを過した時のこと、ある夕暮の公園で知り合つたカナダ生れの女批評家ミス・Wと、その仏語教師C君――われわれは、ペエル・ゴリオ風に、この中年の好紳士を、ムッシウ・コンシャルドラマと呼び習はした――この二人のことである。ミス・Wの餅を頬張つたやうな仏蘭西語を、C君の註訳入りで聴いてゐると、彼女は、イプセンの崇拝者であり、タゴオルの研究家であつた。そして、C君同様、肺を病んで、この南仏へ療養の旅を思ひ立つたのであつた。そして、逓信省の一官吏なるC君を、ただそれが仏人なるが故に、仏語教師として朝夕その身辺に侍らせてゐるのであるといふことがわかつた。
「このムッシウは、私のやうな若い女にとつて、甚だ安全な方であります」と附け加へた時、私は、眼を見張つてC君の顔を見たが、その時、このバルザック流の人物は、年ごろ持ち古したらしい無趣味そのもののやうなステッキの上に、剃りたての頤をのせて、思ひがけなく太い口髭の下から、「メフィエェ・ヴゥ」(どうだか、あてになりませんよ)と云つた。そしてから、そのステッキを、今度は、撃剣の手真似で前の方へ突き出して、「わたしのからだは、大事なからだです。どうして、どうして……」と、その剣を、大きな楡の木の幹に突き立てる身構えで、「わたしの妻、わたしの子供たち、それから、わたしの友だち……いや、いや、まだ、これで、うつかり死ねませんよ」と叫んだ。
 ミス・Wのかすれた笑ひ声……。仏蘭西には売つてないやうなパラソルの先で、コンシャルドラマのステッキをはたと叩いて、「自分が人のために、大事な人間だと思つてゐる人を、わたし軽蔑します」とやつたものである。この時、C君の骨張つた手から危ふく滑り落ちようとしたステッキを、私は今でも、なほ自分の手のうちに感じている。



底本:「日本の名随筆91 時」作品社
   1990(平成2)年5月25日第1刷発行
底本の親本:「岸田國士全集 第九巻」新潮社
   1955(昭和30)年8月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:大野 晋
校正:多羅尾伴内
2004年12月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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