を生んだりする幼稚さを脱しられぬものだらうか。
 特に近頃目立つ「思想」に対する指導階級の浅薄な潔癖は、国家将来のための由々しい問題である。思想の統制、もとより可なりである。それは「思想」を思想し得るものゝ手によつてはじめて可能だといふことを深く自戒してほしい。実は、忌憚なく云へば、今度の事変に関係してゞも、わが当局が、支那の農民や苦力をつかまへて、「防共、防共」と叫んでゐる宣伝方法は、適当かどうか。
 周知の如く、現在、わが思想対策の面に、旧左翼系統の人物が多く登場してゐるやうである。戦地に於ても、特務部のブレントラストの一部はこれらの人々によつて占められてゐる有様である。
 それもよからう。結局、性格と気質が、先づかやうな雰囲気に適してゐるとみていゝからである。ところで、わが日本の思想的チャンピオンは、もともと中正にして転向を必要としなかつた人々のなかにもある筈である。
 それらの多くが、自由主義者の名を以て葬り去られる原因は、彼等が少しばかり拗ねてゐるからに外ならぬと私はにらんでゐる。それは必ずしも時局の風に顔をそむけてゐるのではなく、寧ろわが指導階級の「教養」に対する軽侮に酬ゆるためであることを私は彼等のために弁ずるものである。
 日本は今、知識階級の奮起によつて、事変第二段の事業を達成すべき時期にはひつてゐる。彼等の総力は何人の手によつて動員されるか、それを思ふと私の心は暗くならざるを得ぬ。
 内に正しい文化を推進する力なくして、外にこれを伸ばさうとしても、それは労して効なきわざである。
 希くは、われらと憂ひを共にする若い官吏諸君は、この機会に、職を賭して上司の蒙を啓くことに努力されたい。ジャアナリズムは、その全能をあげて知識層と一般大衆の結合を企図して欲しい。
 軍民協力の実がこれほど挙つてゐるのに、なほ、社会のそれぞれの部門が、背を向け合ひ、時として反撥し、功を競ひ、他を傷つけ、「日本の理想」が何処にあるかを疑はしめるやうな現象が国内に存在することは、かへすがへすも遺憾である。

     直ちになし得ること二三

 そこで、国内改革の急務を察しなければならぬが、その完成は短時日に俟つわけにはいかぬ。われわれは、今日直ちに、支那をどうかしたいのである。支那の民衆と手を握りたいのである。彼地に於て、日本の信頼すべき姿を――少くともその真意において示したいのである。
 私の観た範囲に於て、現在のわれわれの力の程度に於て、せめてこれだけのことはしなければならぬと思つたことを思ひつくまゝに列挙してみる。

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一、大学専門学校男女卒業生中、優秀な希望者を日本語教師として支那各地の中・小学校に配属せしめること。そのために、教授法の講習を若干行ふこと。少くとも十年以上の契約を結ぶべきこと。
一、支那人のための日本語教科書を速かに編纂発行すること。
一、直接日本政府の名によらない私立の小・中学校を各地方の治安の程度によつて徐々に設立すること。これがために、その経営、スタフ等を半官半民の機関によつて統一的に研究指導すること。
一、各地方に日支民間の協力による刊行物の普及を計ること。勿論、飽くまでも日本当局の許可と支持を必要とするものであるけれども、この形式は、事変の性質からみて、国策遂行上、最も効果的だと信じる。これら刊行物は最初は漢字版のみによるのであるが、将来、日支両文の記事を同時に掲載することになるであらう。
一、ある地区では、相当の都会に(人口十万ぐらゐの)医者と云へるやうな医者が二人しかをらず、他に医者の看板をかけてゐながら、実際は患者の脈もとれないやうなものが八十人もゐるといふところがある。事変前の事情も調べなければならぬが、かういふ状態が永続するとすれば、日本の開業医の進出といふことも考へられる。医療方面に限らず、現地に於けるかういふ点の調査が、内地のひとつの機関を通じて国民の各層に漏れなく伝へられるといふ方法を講じること。
一、各地の文化施設は、当局の配慮によつて、可なり保護されてゐるが、一歩進んで、その管理活用の準備が既に行はれてゐてもいゝと思ふところがある。かういふ方面で、それぞれ専門家が、もつと広く動員されることが望ましい。
  例へば、南京の図書館の整理がやつと緒についたといふ報道は、極めて内外に対する好ましい宣伝であつたが、荒廃した名所旧跡の修復とまでは行かなくても、若干の手入れぐらゐは、われわれの手で一日も早くやつてやるぐらゐの余裕がほしいものである。
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 こんな問題を拾つていけばきりはないが、少くとも、今後、「武装せざる日本」の真面目を、世界環視のうちに、百パーセント発揮せしめなければならないといふことを、われわれは、国民自らの責任として深く心に期するところがなくてはならぬ。



底本:「岸田國士全集24」岩波書店
   1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「従軍五十日」創元社
   1939(昭和14)年5月8日発行
初出:「東京朝日新聞」
   1938(昭和13)年11月12〜16日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年11月12日作成
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