で、出来る限り所謂欧米の権益なるものを調べてみた。かういふ調査は、軍部や外務省あたりでは既にちやんとできてゐると思ふが、われわれには、経済的な既得権、乃至は、不動産の類といふ風にしか理解できなかつた。
 ところが、私の見聞によれば、それもむろん相当なものに違ひないが、さういふ数字的な領域よりも、寧ろ、支那及び支那人を本質的にキヤッチし、本国の国旗のもとに於てゞはあるが、日常的には宗教の名に於て、その優越せる近代文化面の誇示と利用によつて、彼等を悦服、信頼させ、人間愛と社会的良心との巧まざる発露を感じさせることに成功し、その礼拝堂に跪く善男善女の数よりも、その学校に通ひ、その病院に集まり、その孤児院を訪ひ、その慈善市に寄附するものゝ数がはるかに多いといふ事実に重点をおきたいのである。
 支那の知識層は固より、市井の目に文字なきものさへ、欧米人の下に使はれることを得意とし、彼等の言語動作は、他の如何なる支那人よりも朗かであり、卑屈の風が見えないといふところまで張つた自然の根を見落してはならぬ。
 欧米依存の理由は多々挙げることができるであらう。フランスの一宣教師で、在支五十年といふ人物に会つた時、彼は、私に語つた。
「自分が今日までを支那で過した経験からいへば、嘗て、日露戦争後の一つ時、支那の上下をあげて日本贔屓であらうとした。日本でなければ夜が明けぬといふ状態になりはせぬかと思つた。その頃、誰が今日あることを想像し得よう。欧米人が日本人と異ることを若し支那において行つたとすれば、それはかうだ。欧米人は金を少し余計に出した。しかも、それは、資本を支那人の手に委ねて、その利益の幾分を要求するといふ仕方であつた。日本人は、金を出し惜んだ。しかも、君達は、自分で儲けて、その分前を彼等に与へようといふのだ。彼等は前者を選んだのだ」
 私は、この意見が正しいかどうかは知らぬ。もしそれに誤りがないとすれば、心理的に、結果は明かな筈である。支那人ぐらゐ心理の複雑な民族はないと私は思ふ。欧米人は、かの解剖癖によつてそこをつかんだといひ得ないであらうか?
 日本人の単純の美徳が、支那において容れられないとすれば、なんとか手を考へるべきである。
 私はかういふいひ方を好まぬが、欧米との対立が今や云々されてゐる時、欧米が支那に対して従来如何なることをなしたかといふ研究がもつと行はれてもよさゝ
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