に進め得るといふ着眼を、僭越ながら、私は当局に求めると同時に、国民、殊に、文化的教養と進取の精神に富む青年諸君に促したいと思ふ。
私が、特に自発的進出と云ふのは、必ずしも、これらの機関の中で働くといふ意味ではなく、寧ろ、全く民間の一篤志家として、個人の資格でもよし、団体の名においてゞもよし、ともかく、中支那の各地方々々で、文化国日本の矜持にふさはしい「生き方」をしてみせ、支那民衆の、就中知識層の日本認識の上に望ましい一転機を与へ得るやうな、事実的根拠を与へよと云ふのである。
この意見が、抽象的すぎるとすれば、もつと具体的に述べよう。
軍隊は志気旺盛、軍紀厳正、勇猛果敢なることによつて、支那民衆を感服せしめてゐる。特務機関は、政治・経済・思想の各面において、日本の立場を闡明し、彼等をしてわれに依らしめんとしてゐる。政治的には、維新政府を枢軸とする地方の各組織が徐々に結成され、経済的には、日本資本の注入も約束され、産業開発、税収増加も期待し得る状態にある。
が、その方面のことは私の知識は不十分で何等専門的な発言はできないのであるが、例へば、文化部門に於ける、教育とか、宣伝とか、救済とか、娯楽施設とかいふ方面においては、今日まで、現地機関の手が十分廻りかねてゐる実情を無理からぬことゝ考へた次第であつて、これこそ、国民一般が、その精神的能力を総動員する立前から、是非とも必要の度において、それぞれの技術と信念と努力とを進んで提供すべき場所だと私は痛感したのである。
更に細かい点にふれゝば、占領地各都市町村には、少くとも一つ以上の邦人経営の支那人のための小学校、中等学校が必要である。また、何れの学校にも日本人の語学教師がゐなくてはならぬ。これは一日も忽せにすべからざる問題である。
現に、楊州地区では、私個人にではあるが、日本語教授のための青年を十人選定して欲しいといふ依頼があつた。実際は、その必要が感ぜられてゐながら、それを国民一般が知らずにゐるといふ法はないのである。道がついてゐなければ、その道をわれわれの手で拓かなければならないと思ふ。楊州ばかりではないと思ふが、他に本職のある兵隊さんや特務部の班員諸君が、忙しい時間をさいて、熱心に日本語の講習をしてゐるところをみると、われわれはなにをしてゐたのだと思ふ。
中支に張られた欧米の根
私は中支の各地方
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