、誰にも興味をもたれるだけの普遍性があり、誰をも感動させる熱と力とがあり、従つて、今日、「最も勢望ある作家」の一人となつた所以は、しかし、たゞ、そこにあるのではない。
彼は、その作品に、彼自身のあらゆる美徳――日本人が、古来、最も愛して来た美徳の数々を盛つてゐる。彼の作品に、一つの顕著な風貌を与へるとすれば、それは、恐らく、「頼母《たのも》しさ」であらう。われわれの歴史は、実に、この一語に、あらゆる道徳的陶酔の秘密を託して来た。私が、彼の戯曲の悉くにいまいましくも涙をしぼらされ、「何故に泣いたか」を考へてみると、それら戯曲中の人物が、あまりにも「頼母しすぎる」からだと云ひきれるのだ。
だが、こんなことばかり云つてゐてはならぬ。私は、彼の戯曲家としての才能――日本近代劇山脈の高峰として、彼の傑作が、如何なる美学的特色をもつて現はれたかを語らなければならないが、残念ながら、紙数に制限がある。
彼の劇的作品は、手法の上からみて、二種類に分けることができる。第一は、所謂伝統的ドラマツルギイの定石を踏んだストリンドベリイ的作品、第二は、新しい戯曲美の要素から成り立つチェーホフ的作品である。
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