領域へ足を踏み込むことでもない。
 逆に、女は、真に男らしさ男の前では、おのづから「しをらしく」なるものだといふ微妙な心理を忘れてはならぬ。異性間の問題については、あまり立ち入つて云ふべき機会ではないから、これくらゐにしておくが、要するに「武」の精神は、古来、日本婦道の健全な発展のうちには、いろいろなすがたで示されて来てゐるのである。「しとやか」といふことは女性の威儀に外ならぬ。
 男子の側に於て「武の道」が顧みられなくなつた時代、女子の側でのみこれが守られてゐる道理はない。
 しかし、今日、日本の文化は、再び伝統の光被によつて、その本来の面目を取戻さうとしてゐるのである。
「貞節」といふことも、女性の凜々しい一面を発揮したものであるが、それが日常の言動となつて如何に現はされるかといふことを、最近、人々はあまり等閑に附してゐる。日本の女性の「たしなみ」は、こゝにもひとつの大きな課題をもつてゐたのである。見知らぬ男と口を利くその利き方において、女の「たしなみ」に遺憾なくあらはれ、電車の乗り降りひとつで、その女の「貞潔」の程度を知ることができる。不必要な媚態とあまりに繊弱な風姿とは、それだけで既に、備へなき精神の虚を暴露するものである。
 さて、かう述べて来ると、私たちは、かの封建時代の女大学式婦道をそのまゝ礼讃するかのやうに思はれるかも知れぬ。
 決してさうではない。
 封建時代の、仏教乃至儒教の影響を受けた女性観には、多分の非日本的性格と家族制度の末紀的現象を反映した、女性を汚れあるものとし、或は度し難きものとする傾向が見られないことはない。
 女三従説の如きは、趣旨はともかく、表現が寧ろ穏かでないとさへ思はれる。
 事実、男尊女卑は日本の思想ではなく、夫唱婦随の妙諦は、夫の責任と妻の信頼から生れるものであることを、日本の男と女とほど、よくこれを知つてゐるものはないのである。
 嘗てフランスの詩人ジャン・コクトオが、接客の儀礼を鮮やかに身につけた日本婦人の多くをみてこれを「奉仕の女王」と呼んだ。
「女王」の尊称を奉つたのは、威厳、鷹揚さ、気品といふやうなものを特に感じとつたからであらう。言葉はもちろん洒落に過ぎぬけれども、彼の云ひたかつたことはよくわかる気がする。
 服従が若し日本の女の美徳であるとすれば、その服従は、男に委せるべきものを委せる果断と没我の勇気から来るものであると、私は信ずる。それゆゑに、女の服従は男の決意を固めさせ、行為の責任を自覚せしめる力となるのである。
 私は、命ずれば音の響きに応ずるやうな「諾」の返事ほど、夫の心に妻を凜々しく感じさせるものはないと思ふ。まことに、日本の家の深々とした重みである。
 以上で、私たち、即ち私と亡妻との合作になる女性訓を終ることにする。
 家内は幽明を隔てた界から、この原稿を嘗て屡※[#二の字点、1−2−22]さうしたやうに、私に読み返してみせるであらう。
 こゝをかうしたらといふ意見も出すであらう。私は笑つて、そのまゝでよろしいと答へる。彼女は従ふであらう。
 あゝ、しかし、彼女の眼に涙が溜つてゐはせぬか。
 私は、堪へ難い彼女への憐憫と作家としての良心にかけて、この一文を敢へて発表する。
 読者は、どうぞ、私の真意を汲んで、素直にこの愚かな告白を聴いていたゞきたい。



底本:「岸田國士全集26」岩波書店
   1991(平成3)年10月8日発行
底本の親本:「婦人公論 第二十八年新年号、二月号」
   1943(昭和18)年1月1日、2月1日発行
初出:「婦人公論 第二十八年新年号、二月号」
   1943(昭和18)年1月1日、2月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年3月1日作成
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