今度の公演に於て、既に、われわれをある驚異にまで導いたであらうと思はれるが、金杉君、どうですか?
 批評をすれば、かうやかましく云ふのだが、然し、大体に於て、私は、愉快に、モルナアルの二幕までを見物した。
 そして、この機会に、やや声を大にして云ひたいことは、一座のヴデット、長岡輝子夫人の聡明な慎ましさもさることながら、森雅之君の、これは天稟に相違ない俳優的感性の鋭さ、殊に、教養と生活の裏づけによるスマアトな近代性は、凡そ今日までの新劇を通じて、当然出づべくして出なかつた一個の優れたタイプを示してゐる。
 そして、この特質は、見事に、同君をして直接に西洋劇の伝統を会得せしめたかの観があり、不思議にも、同君はひとり新劇の「殻」を背負つてゐない。
 金杉君は、ツキヂイズムの排撃者であるにも拘はらず、初めから、俳優としては新劇の殻を感じさせ、長岡夫人は、その翻訳に於て、仏蘭西語の会話を理解する、稀な敏感さを証明したが、その舞台は一回毎に、「新劇調」を帯びて来る傾向がある。
 森君も、恐らく、この雰囲気のなかで、多少の影響は免れることができまい。しかし、この一座は、常に互の批判者をもち独善を戒
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング