り、口がきけなくなりました。
 しかるに、それから後、またある人からかういふ話を聞かされました。あの祝典に参列した一外国人が、そばにゐた親しい友人に向つて訊ねたさうであります――「私はこんな立派な儀式を世界のどこでも見たことがない。ところで、こんな立派なことができる日本人が、なぜ平生はあんな風なことしかできないのだらう。実に不思議だ」と、かうであります。
「あんな風なこと」とはいつたい何を指すのか、私は突つこんで訊きはしませんでしたけれども、およそ見当はつきました。残念ながら、われわれの日常生活、即ち、われわれの衣食住、お互のたしなみ、われわれの芝居と映画、われわれの停車場、公園、これはなんと申しても、われわれの輝かしい歴史と、その見かけがあまり距たりすぎてをります。
 それについて、ゲーテだつたと思ひますが、次のやうな言葉があります――「何事かを成さんとすれば、まづ何者かでなければならぬ」
 ところでわれわれ日本人は、そもそも何者でありませうか?
 健全な文化、壮大な文化は、既にわれわれの精神のうちに宿つてゐるのでありますから、それは時を得れば忽ちその完璧な姿を天下に示すことができる筈であり、それでわれわれはまづもつて足れりとすべきであるかも知れません。
 が、私は、もう一度、ほんたうにそれでいゝのかとみなさんに伺ひたい。
 今日たゞいま、われわれの日本のおかれてゐる運命は、まさにさし迫つた乾坤一擲の大勝負によつて決せられるのであります。
 われわれの営みは、かゝつて一人一人の腕に、頭に、情熱にあり、これによつて、国を富まし、政治を正し、軍備を整へ、生活に秩序を、勤労に生気を与へ、教育に魂を、学問に権威を、宗教に意志を、文学芸術に気品を与へなければならないのであります。
 さもなければ、日本は、踏み出した足をさらはれ、ひろげた両手を捉へられること必定であります。

 東亜の指導民族をもつて自認するわれわれの現代文化が、真に指導性をもつか否かは、日本の歴史のみが保証することはできません。今日たゞいまの日本人は、職域の如何を問はず、老若男女を問はず、唯の一人と雖も、日本人の日本人たる所以、即ち、高い、豊かな、力強い文化の創造者たる責任を忘れてはならないのであります。
 それには何が必要かと申しますと、さしあたり、いはゞ「軍隊的なるもの」を、先づわれわれは身につけなくて
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